社長の日記「つみかさね」

社長の日記「つみかさね」

2018年02月14日

変わってるねは最高の褒め言葉

余談ですが、いつぶりでしょうか、今スマホで書いています。

パソコンを会社に忘れ、なぜだかiPadがログインできず、iPhoneになりました。

 
 
では、今考えていることを今日も書きます。

 
画一性をもとめる世の中であるなとつくづく思います。

 
少し違うことをすると批判にさらされ、目立ったことをする人は叩かれる。

 
標準が良しとされ、大きく外れると悪とされる。

 
銀座の小学校のアルマーニの制服問題でも思った。

 
私は、別にそんな学校があってもいいと思う。

それが公立でもいいと思う。

なぜなら銀座だから。

テレビで観るあの小学校がすごいオシャレだから。

想像ですが、銀座の真ん中にある小学校に通う児童の家庭は比較的裕福だと思うから。

 
そんな学校があってもいいんではないかと思う。

 
なんでもそうなんですが、普通より変わっているほうが好きです。

 
人に迷惑はかけてはいけないと思いますが、なんでも人と同じ、人並み、みたいな考え方はあまり好きではない。

 
目立った人をスタンダードな自分と同じように見て、その価値観だけで判断するのは違うと思う。

 
違うと思うだけならまだ良いが、排他する傾向がある現在の世相は私は改善するべきだと思う。

 
変わってるね、は最高の褒め言葉である。私はそう思います。

 
 
 
 
posted by orangeknight at 23:49

2018年02月12日

周りの人を燃やす

結果を出す前に宣言することってとても大切である。

 
バッターボックスに入って、予告ホームランする。

バットを高らかにバックスクリーンに向けるんです。

 
そしてカキーンと打つ。

 
それを観た人は多分鳥肌が立つでしょうし、胸が熱くなるでしょう。

 
 
「僕、結果も出してないしな、結果を出してから言おう」これでは結果はなかなか出ないし、まず周囲に良い影響は与えられない。

 
結果を出す前にヨーシやるぞっと予告ホームラン(宣言)をするのって勇気がいる。

 
できなかったらどうしようと考えてしまう。

 
当然、周りの人の目も気になる。

 
悪いように考えればキリがないくらいたくさん出ます。

 
しかし、予告ホームランをせず、普通にバッターボックスに立ってホームランを打った人と、予告ホームランをしてホームランを打った人の、どちらにあなたは感動しますか。心が動かされますか。

 
人は生きていく上で自分さえよければではいけない。

 
他人に良い影響を与えないと。

それこそが人の役に立っているということで、それをお互いにし合えば、必ず物事は良い方向に進み出す。

 
失敗を恐れたらいけません。やるから失敗するんです。やってないよりよっぽど素晴らしい。次、前に進めますから。

 
挑戦もしていない奴が挑戦して失敗した人間を笑う資格はない。

傍観者の「ほらね、言わんこっちゃない」なんて意見は気にする必要もないし、むしろやったことを誇りに思えばいい。

 
予告ホームランは自らのためでもありますが、周りの人のためです。

 
 
「周りの人を燃やすため」です。

 
 
本気で練習し、一所懸命に考え、向かっていった予告ホームランは感動を呼びます。

たとえそれが空振りだったとしても、もう1回予告ホームランをしなおせばいい。

 
何回でもチャンスはあります。チャンスだと感じさえすれば。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by orangeknight at 18:23

2018年02月11日

権力の及ぶ範囲という絶対的違い

国というのは法によって治めれています。国の中だけ。

 
どういうことなのかと考えますと、それは権力が自らの政権を維持するための手段であり、それが正しいか正しくないかは関係ないということが浮かんできます。

 
そして、それはその権力が及ぶ範囲においてもたらされるものなのだととても感じる。

 
これは平昌のオリンピックに笑顔で来ている北朝鮮の幹部や、それと握手する韓国の大統領、何より我が国の安倍総理をテレビで観て思うのです。

 
日本国内で人を殺したら、また、人を殺すように指示したと断定されたら、逮捕され、刑務所に入れられ、自由を拘束される。

 
極論それが疑いの段階でも指示された通りに警察は動く。

 
独裁国家で、彼らの国内で何をしているかわからないような人間ではあるが、法という手段が及ばないところにあるので、日本や韓国はその国の権力に対しては笑顔で接する。

 
それは表面上ではあるかもしれませんが、逮捕するという概念自体がそもそもない。

もっと言えば彼らの国内で何があろうが、それは干渉すべきではないくらい思っている。

 
 
話は少し変わりますが、森友や加計問題などありましたが、籠池さんはなぜこんなに長い間留置されているのでしょう。そこまでの大犯罪だったのか。

どのような目にあっているのかわかりませんが長くないでしょうか。

 
加計さんはほとんど取材も受けない。法に触れてないという判断でしょうが、法って自己都合であると私は強烈に最近思うのです。

 
法の及ぶ範囲においては権力は全力でそれを維持しようとする。しかし、その範囲外において起こる同等の出来事に対しては黙認する。

 
そういう事を考えると、刑罰というのはそもそもどういう考え方のもとに成り立っているのかと考えてしまうのです。

 
悪い人間を罰するためというのもありますが、政権側が自身の保身のために用意した手段の一種という側面も多分にあるように思います。

 
それは企業でも、学校でもチームでも組織なら多くが当てはまるのでしょうが、考えれば考えるほど国とは何かと思うのです。

 
歴史は勝者が書くものですし、創るものです。現在もその勝者や権力の力において、鎮められている人や物事があるのだろうなと思います。

 
 
権力どおしが均衡したとき全ての物事は棚上げになる。しかし、絶対的な権力の中に存在しているというとき、そのときはその権力の正義の支配下にあるのだと改めて思います。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by orangeknight at 12:28
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