社長の日記「つみかさね」

社長の日記「つみかさね」

2024年05月13日

ランドリージャパンが売上が上がっている訳

うちのコインランドリー事業は日増しに、いや日増しではなく、年増しに売上が上がっている。

 
理由は、おもにランドリージャパンをいつも掃除してくれているこの人たちのおかげでしょう。

 
 
ranndori-ジャパン

 
ランドリージャパン-13 10.14.50

 
 
誰もいないところでも、いつも一所懸命に磨きあげてくれています。

 
全く要領をかますことなく、細かいところまで丁寧に掃除をしてくれています。

 
 
掃除って、その人の人間性を表します。

 
 
信用できるなって思えますし、やはり来店されるお客様は、いつもキレイなぁとか、機械の掃除が行き届いているから良く乾くなと感じるものです。

 
そしてまた行こうと思っていただける。

 
 
自分の目が届かないところで、常に黙々とやってくれている人がいる。

 
地味な役割かもしれませんが、そういう人がいるから表舞台がうまくいく。

 
感謝しています。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by orangeknight at 11:05

2024年05月12日

「成瀬は天下を取りにいく」を読みました

今日は2024年の本屋大賞「成瀬は天下を取りにいく」を読みました。

 
 
成瀬は天下をとりにいく

 
 
主人公、成瀬あかりの人間性にもの凄く惹かれた。というのが率直な感想です。

 
目の前に起こることに対して、成瀬のように考え、行動したら、もっと前向きな社会になるだろうなと。

 
また、大津市民にはすごく身近な光景だろうな。私にならリバーシティだろうかな。

 
 
最初からずっと、タイトルをこのようにした作者の想いを想像していました。

 
一人称の最後の章で、確かに、成瀬はまずは天下を取りにいくよなと、温かい気持ちで読み終えました。

 
 
 
 
 
 
posted by orangeknight at 17:49

2024年05月12日

同じ2台持ちですが別世界

2014年の8月26日にランクルを売った。

 
800いくらで新車で買って、1年半、2年は経っていなかったはずだ。

忘れもしない680万で売れた。

 
絶対に忘れないと、写真をこのように撮った。

 
IMG_6411

 
 
それからちょうど10年。車をその時のように2台持つことにかかった年数です。

 
そんな意味で、昨日は感慨深い夜だった。

1人でその時を思い出し、小さくよしっとガッツポーズをした。小さく。

 
 
 
2013年、創業して6年、初めての赤字をくらった。

 
売上はどんどん増えるけど、私が会社の基礎をきちんとしないで拡大させたものだから、やればやるほど赤字が大きくなった。

 
私自身も調子に乗っていたし、勘違いしていた。

 
初めて言うが、2013年の決算で3800万の赤字を計上し、そこから2014年、2015年は地獄だった。

 
黒字や利益はなかなか増えないが、落ちる時は一瞬で転げ落ちる。

 
 
車の話に戻すが、当時、私はベンツのSクラスを新車で買っていて、その上でランクルを増車した。

 
複数台持ちたいとずっと思っていたし、そういうのが憧れなのだ。

 
その頃から業績が悪化していった。

 
蓋を開けたら2013年の決算は前述の大赤字。顧問税理士の先生から電話で、なかなか厳しい。今期はどうにもならないと聞いたあのクリスマス前後の夕方。話をしているうちに寒空の中で汗が流れた。

 
その流れは2014年も続く。

 
売上は前年よりも増えるのに、完工後の利益率が悪く、また人も増やしていたので、固定費が相当上がっており、単月でも利益が出なくなっていた。

 
あのときは毎朝5時くらいに、汗ボタボタになって目が覚めた。すごかった。この話を会社で何回かしたなぁ。

 
そこでランクルを売る決意をし、680万で売り、運転資金の足しにした。

 
それくらいの額、一瞬で無くなったが従業員への決意表明でもあった。

 
覚えている者もいるかもしれないが「経営不振なので車を売った。しかし、どうにかする」と最初に出したお金の写真と一緒にメールを一斉送信したものだ。

 
そんなこんなで自分は休み返上、悪いけどと、会社の考え方にそぐわない人へは辞めてもらい、いろんなことに取り組んだ。

 
そんな最中、2015年の年始に髄膜炎になり入院した。

めちゃくちゃ痛かったなぁ。

疲れていたのかな。

 
前年に始めたアクアクララにも取り組んだし、会社のみんなで家島の釣り堀に休みの日に行って親睦を深めた。

 
ネクシーズという会社の近藤太香巳社長の講演を聞き、胸が熱くなり、そして涙がボロボロ出たのも鮮明に覚えている。

みんな乗り越えてきているんだと、当時の私には強烈に刺さり感動した。

 
写真を観ながら思い出しているが、娘がランドセルを選んでいる写真もその頃にある。

水色が欲しいと言ったのを必死になだめて赤にさせた。

今思えば、彼女の意思を尊重し、あの水色で認めてあげたらよかったと思う。そういうのが協調性よりも重要な強い個を育むことになる。

いろんなことに未熟であったと考えている。

 
2016年にはトイレジャポンをはじめ、Tポイントをやり、そこからも改革改革に取り組んだ。

 
まだまだ人も辞めていくし、その頃に、辞めた従業員にお金も取られた。今までで一番苦労した裁判を起こされたのも当時だ。

 
裁判は、結果和解という名のうちのほぼ全面勝利に終わったが、リフォーム現場では脇の甘さからとんでもないことが起こるし、要求されるし、足元をすくわれることがあるんだと学んだ。

 
しかし、あの裁判は勉強料としては安かったな。うちの会社のアップグレードに大きく寄与したから。

 
 
2017年くらいかな。改革の効果が出始め、また膿も出し切り、利益が再びで出したのも。

 
 
そんなこんなでそこから6年、7年で今に至る。

 
 
当時、車を2台持っていたが、それは言うならば虚像だったのかな。

 
でも、憧れだったSクラスだけは死んでも守ると歯を食いしばって働いたのは事実で、車は私のモチベーションであったのだ。

 
あれがあったから、迷いや弱い気持ちが心の中で出ても、いやいやと思えたし、社員の前では強く存在し続けられた。

 
 
10年ぶりの車2台。そんなふうに思いおこす。

 
でも、たった車を2台にすることに10年もかかるのだからおもしろいものですよね。

 
今となれば、商売人なので良いときもあれば悪いときもあり、大切なのは、悪いときに良いときのお金の使い方に固執しないこと、即座に変化しきること、また生活レベルを確実に落とすことなどが、本体が死なないことに直結すると考えている。

 
まぁ、これからも失敗をたくさんするでしょうが、挑み続け、まだまだ成長したい。

 
 
同じ2台持ちですが、あの頃とは、見える景色は別世界です。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by orangeknight at 11:10
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