社長の日記「つみかさね」

社長の日記「つみかさね」

2013年08月18日

役職は成長させてくれる

このお盆あけから姫路別所店の店長の平本の役職を変更しました。

「姫路別所店店長兼営業本部長」から「営業本部長兼姫路別所店店長」へと変えました。

彼は創業時から一緒にやってくれていて僕の右腕です。

役職は「では僕が社長ね、平本さんは部長ね」という感じで一番最初は決めました。

だってほかに一人と僕の妻しかいませんでしたから、口に出したわけではありませんが実際そんな感じです。

しばらく部長という呼称を使っていましたが、赤穂店を創ったときに姫路本店の店長に平本が着いたので呼称はそこから店長に変えたんです。

役職は「姫路本店店長兼営業本部長」でした。

そして今回部長と店長を前後逆転させ、また一番最初の部長という呼び名に戻しました。


単純なことかも知れませんが、僕にはすごい意味のある事に感じます。

この6年近くで、平本は創業時のとってつけたような「部長」から本当の「部長」になりました。

彼は努力し、考えて悩んで、自分を追い詰めて一生懸命にやってくれましたし、これからも変わらないでしょう。

同じ部長という呼び名ですが、創業時は部下もいなかったのが今はたくさんいるし、組織も少しずつではありますが育ってきています。

何より僕は彼から部長のオーラがでているように感じる。

よくありがちなのに、創業時からいる人間などは勘違いしがちで、やがて経営者とそりが合わなくなり別れるというパターンが多いんですが全くそんなことはなく、仮に僕は彼に裏切られるならそれまた本望と思えるくらい信頼しています。

社員には厳しいかもわかりませんが、彼らのことを本当によく考えていますし、表と裏が無いです。

「部下は上司を選べません」と言いますが、私心多き上司を持つと部下は苦労します。その点素直に恵まれていると感じて良い上司だと思います。

前の会社からこの「役職」というものはいろんなドラマを生んできた。

僕は「役職なんかこだわりませーん」という感覚はこれっぽっちもなく、超こだわります(笑)。

営業初めて半年で主任にしていただきました。

その名刺は人に見せびらかしましたし(23歳なので子どもでした)、以後役職がかかった月などはただの一度も落としたことがありませんし、人生で降格したことがありません。

営業の世界は昇格とともに降格も常なんですが、一度も無いのはそれなりに努力したからだと思っています。

支店長の人事や転勤、左遷など、前の会社では役職というものがこれほど「汚い」ことも生み出すのかなどいろんなものを見せてもらいましたし勉強になりました。

しかし、それはしごく当然でそういう欲もなければ上にいくパワーもないし生み出さないものだとも理解しましたし、基本昔からそうやって人類はいろんな世界で繰り返しているんですから自分はそれに負けない力をつけようとの考えを持ちました。


24歳で係長という役職にしてもらったときあるお客様に言われました。

そのお客様は800万の工事を初対面の僕をみて「あんたに任すから、あんたの取り分をちゃんと取ったうえでしっかり頼むわ」と任せてくれたお客様です。

初訪でしばらく話をしてだいたいいくらか聞かれ「だいたいですが800万から1000万くらいだと思います」というと「よっしゃあんたに任すから〜」と言って決めてくれ、その日「口約束だけで男が帰ったらあかん!」と言い「800万で契約書つくり」と言ってくれまだ見積もりも無い状態で契約をしてくれた60台半ばの奥様です。

その光景を横でご主人様は苦笑いしていましたが、後にも先にもそんな金額でそんなことは1回の体験です。

もちろん全面改装をさせていただきましたし、今もご健在です。

その奥様と工事中に話をさせていただいたなかで「あんたは係長になったばっかりやいうけどな、役職いうもんはなぁ、2つの場合があるんをよう覚えとき。役職はその人より高いものを先に与えてもらって、その人がその地位に追いつく場合と、自分の器より高い地位が与えられたばかりにその器の小ささゆえ役職に負け潰れてしまう場合がある。」

すごく記憶に残っています。そしてそのあと言われたのが「あんたがどっちかは私にはわからんけど、あんたの目はギラギラしとう。はっはっはー(笑)その目はもっと意識して普段は表に出さへんことも大事やで」と言われました。

依頼役職についてはその言葉を基礎に考えていますし、目はお客様のところへ伺ったときは努めて笑うようにしました(苦手ですが)し、意味もよく考えました。


もちろん僕にもいえることですが、平本を考えたとき「部長」がふさわしくなったんだと思いますし、器もともなっていたんでしょうし、自らそれを大きくする努力もしたんだと思います。

ふさわしくなったんであれば「次」への挑戦が始まるな、本当にありがたいな、と思うここ数日です。




posted by orangeknight at 12:35

2013年08月16日

夏の課題の本ご紹介(前編)

おはようございます!お盆休みも終わり、今日からまた全員全力で頑張ってまいります。

数日前のブログで書かせていただきましたが、オレンジナイトでは社員みんなに夏の課題を出しています。

読書とそれのレポートです。

締め切りは17日の土曜日。1週間の期間です。

それぞれが読んでみようと思った本を自由に選び、指定のレポート用紙に感想を書き、他の社員に紹介しようというものです。

読書はしたほうが良いに決まっているとは分かっている。が、なかなか時間がとれないというのが多くの社員の現状。

そこで、こういう機会を設け、みんなで一緒に読書をしようという試みです。

そして、僕のブログで誰々はこの本というように紹介していきます。

そのことによってたくさんの方の目に触れることができ、僕を含めたみんなの刺激になると思います。

お盆中に続々とメールで写真が送られてきましたが、この人はこの本かーとか思いますし、コレコレこういう理由でこの本を選んだとみんな書いてくれるのですが、内なる想いも感じることができとても良かったと思っています。

人数が多いので、2回に分けてご紹介致します。

本の写真(各自がそれぞれ撮りました)と著者名、そして社員の名前を記載させていただきます。

何が良いって感じたかといいますと、みんなが読んでいる本を同じくこれから読むことによって何か近づける感、これはとても感じます。

では、ご紹介致します。順不同です。ちなみに最速で写真を送ってきたのは姫路本店の村上、それに少し遅れること姫路本店の中村でした。日曜日でした。

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宝塚式「美人」養成講座  貴城けい著  姫路別所店 釣

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ディズニーありがとうの神様が教えてくれたこと  鎌田洋著  姫路本店 村上

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一瞬で心を動かす技術  マーク・ゴールストン著  姫路本店 花田

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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年  村上春樹著  本社 魚住

色彩自由自在  末永蒼生著  姫路本店 中村

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父が子に語る人間の生き方  フェルナンド・サバテール著  姫路別所店 大西

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経理の仕事術  吉澤大著  姫路別所店 山﨑

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負け方の極意  野村克也著  赤穂店 東

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覚悟の磨き方  池田貴将著  本社 沼田

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「本物の営業マン」の話をしよう  佐々木常夫著  赤穂店 安井

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永遠の0  百田尚樹著  赤穂店 田中

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勝つ武将負ける武将  土門周平著  本社 原

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ダーウィンと出会った夏  ジャクリーン・ケリー著  姫路本店 田口

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ヒットマン  中保喜代春著  赤穂店 小林

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活かす一言つぶす一言  鈴木博著  姫路別所店 甲谷

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うまくいっている人の考え方  ジェリー・ミンチントン著  姫路別所店 平本

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「ありがとう」といわれる販売員がしている6つの習慣  柴田昌孝著  姫路別所店 松岡

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バカの人  和田秀樹著  姫路本店 佐藤

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その話し方がクレームを生む  小林作都子著  姫路本店 西川

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人を惹きつける人間力  ボブ・コンクリン著  姫路本店 荒枝

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「いい人」は成功者になれない  里中李生著  姫路別所店 藤井

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仕事ができる人できない人  堀場雅夫著  赤穂店 砂町

以上がご紹介第1部です。
posted by orangeknight at 07:04

2013年08月15日

終戦の日

お盆休みも終わりに近づくまだまだセミの声盛んな15日、今日は68回目の終戦の日です。

僕がこうやってエアコンの効いた部屋で仕事をさせてもらえるのも、休みに買い物に行ったり遊んだりできるのもこの日本を守ってくれた先人たちがいたからです。

テレビで何回も何回も観て聞いた「玉音放送」。

「たえがたきをたえ…」というかなり後半の部分が繰り返し放送されていますが、全体からは昭和天皇の強いお覚悟が切実に感じ取れます。

観ていませんが、おそらく今日も「やれ誰々が靖国に参拝した」などという低レベルな報道がなされていると思います。

僕は数年前に靖国神社に行きました。

余談ですが、車で行き2〜3時間の滞在で移動に22時間くらいかかりました。極めつけは日帰りで行ったので帰りは結構きつかったです(笑)。

できることなら今年も行きたかったです。名古屋くらいなら絶対に行っていると思いますが、今年も断念しました。


僕はなぜ、自分の国を守ってくれ戦死した人々を奉っている神社に参ることが問題となるのかが全く理解できません。

そしてそれを同じ日本人が問題視するならまだしも、そんなことでしか自分の国をまとめることのできないよその国々に言われる筋合いは全くないと思いますし、なぜ日本が未だに「謝罪」をし続けなくてはいけないのでしょうか。

いったいいつまで謝り続けたら、それは敗戦国だからでしょうか。おそらくアメリカが「原爆を落としてすみませんでした」と言っているのを誰も聞いたことがないと思いますし、要求もしていなんではないかと思います。


僕らが学生の時、「ポツダム宣言」は無条件降伏であると習いました。

しかし、あれは今では有条件降伏だという説のほうが有力となっています。

読めば明かで、無条件降伏は日本国軍隊のことであるのに、なぜそうやって教えられてきたんだろうと考えてしまいます。

天皇を崇拝しているといったらいわゆる怖い人、また右翼などと感じる人を作り出した日本の教育。

昭和天皇がおられなかったらポツダム宣言は完全な無条件降伏となっていたであろうし、昭和天皇が国体護持を明らかにしないそれに対しても「自分はいかになろうとも、万民の生命を助けたい」と暴走する軍部を抑え、終戦のご聖断をされたからかろうじて日本がアメリカになってしまわなかったと僕は思っています。

その翌月、昭和天皇はマッカーサーとの初めての会見があり、訪ねられたんですよね。

大きなマッカーサーとその横に立たれる陛下の写真はあまりにも有名です。

そこで昭和天皇はおっしゃったんです。戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行った全ての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁定にゆだねるためお訪ねした、と。

マッカーサーはこの死を伴うほどの責任、それも自身の知り尽くすあきらかに天皇に帰すべきではない責任の一切を引き受けようとする態度に骨の髄まで揺り動かされたと言っています。

想像するにご自身の考えとは違う方向につき進んでいく日本。もはや止まれなくなった現況。昭和天皇の心中察するに僕などでは表現できない想いがあられたはずです。

元首は天皇だけれども、意に反する行動と結果をした臣下に対しても、そして天皇が大切に想って下さっている国民に対しても「責任」をとるお覚悟をされた。

今の日本人にはそんな気概の無い人が多すぎます。


もう、書いているだけで申し訳なく涙が出てきます。

十分なことをしてもらっているのに、それが屈折されて伝えられる現状。また道徳の欠如、お金にはしりすぎなんです!


大東亜戦争から68年、生きたくても生きる事が出来なかった人がたくさんいます。

僕は間違ったこともしますし、聖人君子では全くありませんが、そんなことがあり、今この国土や山や海、そして家族が「普通」にあるんだということを、「普通」にできるということはそれ以上に頑張った時期があるからで、「普通」を維持しようと思ったらそれ以上に努力しないといけない、そして感謝の気持ちを持たなければということを言い続けていきたいなと思います。


今日も空は夏の青空、いろんな人が見上げた毎年普通にやってくる8月15日の空なんですね。










































posted by orangeknight at 11:17
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