会社のトイレに新撰組の近藤勇の処世訓を貼っています。
ご存知の方もたくさんおられると思いますが「人の道」というやつです。
その最初の文言「忘れてならぬものは 恩義」というのがあります。
恩義、最近の日本はこんなことを言うと古いなあと言われるかも分かりませんが、恩を忘れる人が多い。いえ、恩というか義理を欠いたことを平気でする人が多い。と僕は思います。
人は相手へ与えたことは覚えているものですが、受けたことは忘れやすいものなのでしょう。
これは教育が悪いんだと思いますが、恩をあだでかえすようになってしまっては最悪です。
そういうことをする人が成功したということを聞いたこともないですし、実際成功を見たこともありません。
立派な人は技術面よりも精神面を重視していることは先人をみれば分かりますし、己の事のみを考えたら成功しません。
利己ではなく利他、これも多くの方が仰られますが全くその通りであると思います。
ここからが本題ですが、思えば僕自身も人生において若いときに恩を返していないことがあったなあ。
なぜ、あの時最後にあんな行動をとってしまったんだろう。
また、してもらった時は心から感動したはずなのに、それが当たり前になって、そして最後にもう一回会ってお礼を言わなければいけないようなこともあったのに、忙しいとか、また今度とか、何かと理由をつけて義理を欠いた行動をしたことがあります。
そういうのはずっと心に引っかかっています。
僕はもっと義理堅くなろうと思っています。
もっと恩を感じる人間になろうと思っています。
少なくともそういう人が増えていくとこの国がもっと良い国になる。
自分さえよければ、生きるためにはなんでもありという欧米的な発想の元ではこの国は先細る。
受けた恩のためなら死ぬことさえ覚悟するという価値観。
少し前になりますが、「永遠の0」という映画を観ました。
多くの方が本を読み、映画をご覧になられていると思います。
主人公の宮部は非常に優秀な航空兵、大東亜戦争においては、祖国に帰りを待つ妻と生まれたばかりの娘に「必ず帰ってくる」という言葉を残し、自分がいなくなればこの家族が不幸になる。絶対に生きて帰ることが自分の使命であるし、僕でもそうでしょうが「帰り、一緒に暮らしたい」と強く思っていた。
無駄な追撃や乱戦を避け、とにかく撃墜されないようしていたため、ときには臆病者とも称された。
戦闘中にはいくら優秀なパイロットであっても危険な状況には陥ります。
彼も何度も危険な目にはあっていましたが、その中で一度米軍の飛行機に後ろをとられたことがありました。
すでにロックオンされたような状況で絶体絶命のピンチでした。
そこに一機の零戦が横から突っ込んできて米軍の飛行機に体当たりしました。
米軍機は墜落、もちろん突っ込んだほうも墜落し、彼は大けがを負いました。
岡田准一扮する宮部は「なぜそんなことをしたんですか!」と瀕死の状況で搬送されるその子に泣きながら言っていました。
その彼は大石と言いました。宮部は飛行の教官もしていましたので大石は生徒でした。
戦況は刻々と悪くなり、日本はついに神風といわれた特別攻撃隊を組織し、学徒までかり出し、片道の燃料で無謀なる特攻作戦に打って出ました。
特攻は原則志願でしたが、みんな好き好んで死ににいったのではありません。
みんな生きたかっただろうに、みんな帰りたかったでしょうに、お国のために自分のことは後回しという価値観で動いた。
宮部の教え子も毎日のように散っていく。
やがて彼は憔悴していく。
生きてかえりたいという気持ちもそれが不可能かと感じてきたとき、どれだけ打ちひしがれるものなんでしょう。
そして、宮部も特攻に志願した。
どういう心中にあったのか、それはご覧になられた方それぞれが感じられたと思います。
宮部が特攻するその日、同じように大石の姿もあった。
宮部は大石に言った「大石君、今から乗る予定の僕の新型と君の旧型(零戦の)を変えてくれないか。僕が航空兵になって最初に乗ったのはその旧型だから、最後はそれでいきたいんだ」
大石は、腕の良い宮部がより性能の良い新型に乗るべきだと思い抵抗するが、宮部の「最後のお願いだ」という一言に押され了承する。
その後、二人は敵の空母めがけて飛び立つ。
しかし、大石の機からは煙が出てきた。みるみる速度が落ちていく。もはや特攻出来ない状況になったのです。
大石は近くの島に不時着、その後救助に遭い後に日本に帰還する。
優秀なパイロットであった宮部は自分の乗る予定だった機体の不調を見抜いていたのでした。
そこまで分かるならば、そのまま飛び立ち、作戦途中で大義名分の元、帰還することは想定されたはず。
宮部の最大の想いは、妻とまだ一度しか顔をみていないかわいいかわいい娘のために生きて帰ること、共に生活すること。
それよりも彼は、宮部は一度受けた恩を命と引き換えに返したんです。
そんなことができますか。僕ならどうでしょう…。
宮部は米軍の空母めがけて突っ込んでいきました。
その状況や想像できないものです。僕なら涙も止まらないくらいでるでしょうし、声もでます。叫びます。体も震えるでしょう。
それを回避することもできたのに、最大の自分の喜びも投げ出し、恩を返した。
その後、大石もその恩を一生かけて返したのはご存知の通りです。
今の日本には自分の事しかみえていない、みていない人が多い。利己なんです。
僕を含めてもっとたくさんの人がそんな気概をもてば、利他の気持ちをもてばもっと国は良くなる。
僕もたくさんの不義理をしてきたと思います。
しかし、もう36歳にもなれば分からねばならないと思っています。宮部は26歳で死んだんです。恥ずかしいと思います。
「忘れてならぬものは恩義」文言としては簡単ですが、僕は実践していきたいと思いますし、実践しないとこの日本をつくってくれた方々に申し訳ないと思います。
今日は恩ということを考えて書いていたら「永遠の0」の話になってしまいました。
長い文章、最後まで読んでいただきありがとうございました。