今回太子店を出させていただき、初めて理解できたことがあります。
それは、店の立地というものは戦略上非常に大切だということです。
これまでも知ってはいましたし、広い通り沿いの方が住宅街の真ん中よりは集客力があることは分かります。
マーケティングに関する本にはそういう類いのことがたくさん書いていますし、知識としてはありました。
しかし、今回の出店で初めて身を以て感じたのが立地による集客力です。
オレンジナイト太子店はうちの他の店とは比べ物にならないくらいのいわば磁力があるのです。
お客様を呼ぶ力がありますし、発信したものが目に見えない風にのって飛ぶ距離が長い。
ただ、それは分析するにオレンジナイトの力ではないのです。
太子町というのは、近年すすめられた市町村合併でまわりの姫路市や龍野市(当時)と一つにならなかった町です。
なぜかの詳細は知りませんが、合併におけるいわば小さい方の市や町は、生き残るために大きい側に吸い込まれるというのが私の認識であり、例えば姫路市と合併したら市役所は安田のままですから今の太子町の役場は廃れる。現にそういう町はありますし、各種サービスの質も低下するはずです。
企業で言えば対等ではないM&Aでしょう。そして、太子町はそれをしなかった。
力があるんだと私は思います。力というより町のパワー、活力があるんでしょう。
太子町は大きな町ではありませんが、あの2号線沿い(正確には175号線)にはいろんな店がひしめいています。
全国展開しているような店が混在しています。
一本その通りから中に入ると北も南も住宅街なのに、その通りだけはいろんな店が立ち並んでいます。
どういう政策でそうなったのか、また大手企業はどういうマーケティングで出店をしていったのかわかりませんが、現在のあそこには「たくさん集まる店たち」のおかげでパワーがあります。
私は今は姫路の飾磨に住んでいます。
これまで、まず買い物や飲食のために太子には行きませんでした。
飾磨にはいろんなものがありますし、姫路(地元の人は姫路駅の北側のことを姫路と言います)に行けば事足りる。言うなれば太子とは商圏が全く違うんです。
しかし、太子町には普通に相生の方、たつのの方は行かれる。網干や大津ともなると太子町は地元という意識があると、私は調べたうえで感じています。
夢前町からも行かれますし、とにかくあそこは商圏が大きい町だと思います。
一応知ったうえで出したんですが、今回その重要性が初めて理解できました。
やはり体験とは大切なもので理解度が格段に違いますし、私はその重要性を少し甘くみていたのかもわかりません。
太子町の集客力はすごいものです。
営業によるマンパワーに重点をおく従来のリフォーム業の営業展開も「買いに来ていただく」という売り方がこれからの主流です。
もちろんお客様ありきですが、そこで働くうちの従業員のためにもそういったことをもっと学ぼうと思います。
何でも勉強ですね。
2014年05月21日
太子町の集客力
posted by orangeknight at 08:25
2014年05月20日
「昨夜(ゆうべ)のカレー、明日(あした)のパン」を読んで
「昨夜(ゆうべ)のカレー、明日(あした)のパン」木皿 泉著を読みました。
死をテーマにした話ではありましたが深刻なものではなく、ごく普通の日常はとてもありがたいものである、またその描写から毎日の普通の生活ってかけがいのないものであるし、求めてもすぐには得られるものではないのかなとも感じました。
嫁ぎ先で夫「一樹」が亡くなった後も「ギフ」こと義理の父と暮らす「テツコ」。
私はこの本を読んでいてとても彼女に魅力を感じました。
テツコの空気感が良かった。決して無理することなく、爽やかにギフとの生活を普通におくる毎日。
お母さんに「明日のパンを買いに行って」と頼まれる日常は生きていないと起こらない。
庭の大きな銀杏の木はその家にお母さんが嫁いできたのも、そこに息子が生まれたのも、そしてお母さんが死んだのも全部みていた。
その息子が結婚し、若くして病気で亡くなり、そこに残されたテツコとギフが生活するのもずーっとみている。
独特のゆっくりとながれる時間の描写が、人間の生きていくということをみごとに表現し、普段せかせかしている私はあたたかい、ほのぼのとした気持ちをいただきました。
死をテーマにした話ではありましたが深刻なものではなく、ごく普通の日常はとてもありがたいものである、またその描写から毎日の普通の生活ってかけがいのないものであるし、求めてもすぐには得られるものではないのかなとも感じました。
嫁ぎ先で夫「一樹」が亡くなった後も「ギフ」こと義理の父と暮らす「テツコ」。
私はこの本を読んでいてとても彼女に魅力を感じました。
テツコの空気感が良かった。決して無理することなく、爽やかにギフとの生活を普通におくる毎日。
お母さんに「明日のパンを買いに行って」と頼まれる日常は生きていないと起こらない。
庭の大きな銀杏の木はその家にお母さんが嫁いできたのも、そこに息子が生まれたのも、そしてお母さんが死んだのも全部みていた。
その息子が結婚し、若くして病気で亡くなり、そこに残されたテツコとギフが生活するのもずーっとみている。
独特のゆっくりとながれる時間の描写が、人間の生きていくということをみごとに表現し、普段せかせかしている私はあたたかい、ほのぼのとした気持ちをいただきました。
posted by orangeknight at 06:12
2014年05月19日
「結果」というものについて
私は会社でよく「結果」について話をします。
最も多いのは「結果が全てですよ」という類いの話です。
私は一生懸命に働くとか、頑張るというのはスタートラインであり、それについては評価に値しないと考えています。
それができない人とは一緒に仕事はしたくありませんし、その事に対して評価を求めるアマちゃんは私とは一緒に仕事はできないと思います。
営業職において、一つの結果は受注です。
その受注をいただくにあたり、どれくらいの努力をし、全力をつくしたことは私は営業出身なので痛いほど分かります。
その人にとってこれでもかというくらい知恵をしぼらせ、ベストな状態とチョイスで商談にのぞみ、すごい労力を使いプレゼンしても契約をいただけないと何の意味もありません。
冷たいように聞こえますが、それはむしろ結果論として時間のロスであったと言えると思います。
そこから生まれた繋がりや経験値のことを言っているのではありません。
プロは過程を評価してはいけませんし、されているうちは認められていないと考えたほうが正しいと思います。
ただ、私は成果至上主義ではありません。
ここのところがややこしいところですが、私は結果至上主義であり、その結果は形としてあらわれていないようなものも含み、成果として形となったもののみを認めているのではありません。
例えば会社で「勤続年数が長い」これは結果であると思います。私は成果を人並みにしか出さなくても勤続年数が長いという人は評価しています。成果を多く出したうえで勤続年数が長ければなお良いですが、長く勤めてくれているからにはいろんな結果を出してくれているはずなので軽視はしたくないのです。
成果主義より結果主義という考えになったのは結果からは成果と違い信用が誕生するからです。
信用や信頼は結果でしか得られません。
結果の積み重ねが信用や信頼となります。結果を出し続ける人には細かいことは言いません。だって言わなくても結果を出してくれるという信用がありますから。
また結果というのは成果という表面的なものではなく、言うなれば立体的なもののような気もします。
新入社員が「自信が無いんです」というようなことを言っているのをよく耳にします。
当たり前です。自信は結果の連続で形成されるものであって最初からあるはずがありませんし、あったらおかしいです。
たまに最初から自信満々の人がいますが、私はそれはそれで好きなんですが、本来自信は結果からしか得られないものであると私は思います。
新入社員は不安と葛藤しながら毎日を戦えば良いのです。
そこからいろんな過程を学び、成長し、また出来ないことや失敗を叱られ、助けられ、傷ついて優しさを覚えます。
本気で叱られたことが無い人や、大きく傷ついたことがない人は本当の優しさは知りません。
一人前に育てたかったら過程を評価してはいけません。そこは優しさでも育成でもなんでもなくただリーダーや上司が部下に嫌われたくないという一心であると私は考えます。
甘えた部下に育てるのも上司、一人前にしてやるのも上司、常に部下は上司を選べません。
今日も長くなりましたが「結果が全て」というのは中、長期的にみれば全て相手のためでもありますし、組織のためであります。
最後に、ただ集団においてリーダーや上司は「いろんな結果」を評価してあげれば良いのです。
あくまで「結果」という名目で。
最も多いのは「結果が全てですよ」という類いの話です。
私は一生懸命に働くとか、頑張るというのはスタートラインであり、それについては評価に値しないと考えています。
それができない人とは一緒に仕事はしたくありませんし、その事に対して評価を求めるアマちゃんは私とは一緒に仕事はできないと思います。
営業職において、一つの結果は受注です。
その受注をいただくにあたり、どれくらいの努力をし、全力をつくしたことは私は営業出身なので痛いほど分かります。
その人にとってこれでもかというくらい知恵をしぼらせ、ベストな状態とチョイスで商談にのぞみ、すごい労力を使いプレゼンしても契約をいただけないと何の意味もありません。
冷たいように聞こえますが、それはむしろ結果論として時間のロスであったと言えると思います。
そこから生まれた繋がりや経験値のことを言っているのではありません。
プロは過程を評価してはいけませんし、されているうちは認められていないと考えたほうが正しいと思います。
ただ、私は成果至上主義ではありません。
ここのところがややこしいところですが、私は結果至上主義であり、その結果は形としてあらわれていないようなものも含み、成果として形となったもののみを認めているのではありません。
例えば会社で「勤続年数が長い」これは結果であると思います。私は成果を人並みにしか出さなくても勤続年数が長いという人は評価しています。成果を多く出したうえで勤続年数が長ければなお良いですが、長く勤めてくれているからにはいろんな結果を出してくれているはずなので軽視はしたくないのです。
成果主義より結果主義という考えになったのは結果からは成果と違い信用が誕生するからです。
信用や信頼は結果でしか得られません。
結果の積み重ねが信用や信頼となります。結果を出し続ける人には細かいことは言いません。だって言わなくても結果を出してくれるという信用がありますから。
また結果というのは成果という表面的なものではなく、言うなれば立体的なもののような気もします。
新入社員が「自信が無いんです」というようなことを言っているのをよく耳にします。
当たり前です。自信は結果の連続で形成されるものであって最初からあるはずがありませんし、あったらおかしいです。
たまに最初から自信満々の人がいますが、私はそれはそれで好きなんですが、本来自信は結果からしか得られないものであると私は思います。
新入社員は不安と葛藤しながら毎日を戦えば良いのです。
そこからいろんな過程を学び、成長し、また出来ないことや失敗を叱られ、助けられ、傷ついて優しさを覚えます。
本気で叱られたことが無い人や、大きく傷ついたことがない人は本当の優しさは知りません。
一人前に育てたかったら過程を評価してはいけません。そこは優しさでも育成でもなんでもなくただリーダーや上司が部下に嫌われたくないという一心であると私は考えます。
甘えた部下に育てるのも上司、一人前にしてやるのも上司、常に部下は上司を選べません。
今日も長くなりましたが「結果が全て」というのは中、長期的にみれば全て相手のためでもありますし、組織のためであります。
最後に、ただ集団においてリーダーや上司は「いろんな結果」を評価してあげれば良いのです。
あくまで「結果」という名目で。
posted by orangeknight at 16:13
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