社長の日記「つみかさね」

社長の日記「つみかさね」

2014年05月27日

バランス

この世の中はあらゆることでバランスがとれているなと思います。


何かを得ようとしたら、それに見合う事をしなければならない。

買い物をするときにお金を払う行為がその最たる行為です。つり合うだけのお金を支払い、商品を取得する。

また、医者になりたいという人はそれに見合う勉強をして、それに見合う学費を払う。

将来の夢が「幸せな家庭を築く」という人と「フェラーリをたくさん買い、庭に並べる」という人が同じ毎日を送っていたらバランスがとれない。


自由というものはその典型であります。

今は自由な世の中なので、それが当たり前になっていますが、自由というものを勝ち取るためや、また維持するためには、自由ではないものいわば不自由を、欲しい願う自由に相当するだけ我慢や努力や労力として支払わねばなりません。

権利と義務は対なる物であり且つ連続性のあるもの、そのバランスが崩れるとその制度は保つ事が不可能となります。


ギャンブルもそうですね。先日の競馬のオークスは断トツの一番人気のハープスター(私の娘は「えーお馬さんやのにハムスター!?」と言っていました。余談ですが)がまさか敗れましたが、オッズというものがバランスをとっています。

株もそう。我々素人がみんながみんな株で儲かるはずがありません。素人が損した分、ファンドなどのプロの投資会社が利益を出す。世界で絶対にみんなが同時に株で儲けているという状態はありえないでしょう。


社内でも例えば店長や部門の長に権限を少しずつ与えていっていますが、それと同時に彼らには責任ものしかかっていっています。

自分の部署や部下を統括し、仮にその部署の部下に対して意見を言うとき自らを通してくれと上司に申し出てくる中間管理職は、今後その部署内の部下に対する注意等も彼、彼女が引き受けることになるのです。それがバランスであり、覚悟であります。

部下の失敗が上司の責任であるなら、部下の成果も私は上司の力だと考えます。良いとこ悪いとこどちらも、がバランスです。

給与もバランス、給与に見合っていない人に給与が支払われることは異常なことと言っても過言ではありません。


リスクというものは必ずハイリスクハイリターンであり、ローリスクローリターン。

リスクのある商談や顧客はいわゆる利益を大きく生むようなものが一概に多いです。しかし、そこには損というものがそれと相対して存在します。

無難に無難にいっていたらそこから生まれるものも僅かです。

大きな借金をしているからこそ得られる普段の生活は、一歩それが破綻すると維持できないところもまさにバランス。


この世の中本当にうまいことなっているなと思います。


自らの望むところにつり合うものを提供するということの連続が、そこへの到達を導くのだと私は思います。












posted by orangeknight at 13:53

2014年05月26日

オレンジナイト太子店に「アレスタ」設置

今日はオレンジナイト太子店に新しいシステムキッチンが入りました。

LIXILの新型アレスタ、来月から新発売の商品です。

かなりバリエーション豊富で、現行のアミィの後継モデルです。

収納の奥行きや人造大理石の天板の成型など、かなり洗練されていると感じました。

オレンジナイトではこのアレスタを赤穂店と姫路別所店にも展示予定です。

まずは今日、兵庫県下やおそらく近隣の都道府県では初めてアレスタを設置致しました。一番が好きなので嬉しいです。

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それにしても今日作業してくれたメーカーからの職人さん、とても手際が良かったです。

組み立てと片付けを同時にこなし、テキパキとした動きであっという間に組み立ててしまいました。

「アレスタを組むのは初めて」とは言われていましたが、改良されたところは説明書をサッと読み、サラサラとこなしていました。

感じもとても良く、こんな方にオレンジナイトのお客様のところにも行ってほしいと思いました。

とても良いです新型アレスタ。システムキッチンをお考えのお客様、もしよろしければご覧いただければ嬉しいです。

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posted by orangeknight at 15:10

2014年05月24日

四十九日法要をして

昨日は祖母の四十九日の法要がありました。

この年になり、今さらですが初めてのことだらけでした。

父方の祖父が私が3歳くらいの時に亡くなってから、今回が身内において33年ぶりの葬儀から四十九日でした。

墓に納骨もしたんですが、生まれて初めて墓石を動かし、墓の中に遺骨を入れました。

皆さんご存知だとは思いますが、お墓ってあの正面の石を動かし、中に骨を入れるんですね。

私は昔子どもの頃「どこから骨を入れるのか?」と父に聞いたとき「この上の石を動かすのだ」と教えられた記憶があり、こんな石をどうやって動かすのだろうかと常々心の中で疑問にもっていたんですが、それはどうやら私が墓石を動かし悪さをしないようにとの考えからだったようです。

それはともかく、墓の中はああいうふうになっているんですね。

そして近所の、私が通っていた保育園をしているお寺の住職に家に続き、お墓でも読経してもらいました。

家族が並んでいたんですが、その時の光景が印象的でした。

もう二度とこのメンバーで並ぶことはない。

縁起でもないことですが、次回このような光景に遭遇するときはこの中の誰かが欠けるんです。

悲しいですが、それはとても自然なことであり、この光景は一回きりだと感じました。

祖父の骨があり、祖母のそれが入った。

そこには成長した私の姿があり、私がその墓に入る頃にはここには私の今はまだ2歳の息子と、もしかしたらそのまた息子や娘が並んでいるのかもしれません。記憶にはありませんが、私が祖父の死んだときに3歳でここに並んでいたであろうように。

同じように住職による読経、この墓地の景色、四季の中で今はまだ存在もしていないいわば子孫が手を合わせているのかなと考えると、死に対しての考え方がまた変わります。

世の中知らないことだらけです。感じていないことだらけです。また、昨日もいろいろと学びました。

四十九日が終わり、これで祖母も天国に行ったんでしょうね。





posted by orangeknight at 07:39
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