2012年08月04日

聖職者の体たらくについて

最近、警察官によるカラオケボックスでの話や、海での話など、この国は大丈夫か?と思ってしまうような事件がよくおこる。

まっとうな警察官もたくさんおられるなか、前述のようなつまらない一部の者のせいで全体が批判されるのはややお気の毒な気はしますが、まず何よりも先に、道徳が欠如した人は警察官や学校の教師、医者や政治家やお坊さんにはなってはいけないと思います。いや、むしろ自信の道徳観の成長を促さない人は、職を選ぶべきです。

なぜなら、これらの職業は僕らの職業とはまた違うものだと考えるからです。

まず本人ありきで、次に僕の考えを書かせていただきます。

職業によって差別はいけないとか言われますが僕は違うと思います。やはり、それらの職に就く人は尊敬を集めなくてはいけません。

いわゆる「立派な職業ですね」と言われなければなりません。昔は今なんかよりもっとそういう意識が強かったんではないかと思います。

周りが心からそう思っているから、尊敬の念を抱いているから彼らもまたその自覚が一層芽生えたのではないでしょうか?

ところが、最近の風潮として、世の中は全て平等、No.1よりオンリー1、横並びですよ的な教育のせいでその意識が急速に低下したと僕は思います。学校ではむしろその本質を教えるべきであって、世の中は平等などでは全くありませんよね。

公務員である警察官は尊敬に値しない存在で、むしろ税金を払っている我々国民の便利係と思っている人もすくなからずいると思います。

こっちがそう思っているのに、相手には高度な立ち居振る舞いを期待するのは虫がいいと思います。言葉は悪いですが、飼い犬は飼い主にそっくりなものです。

やはり、そもそも「聖職」に就いている方、またその職業へは畏敬の念をもって接しないといけませんし、その職業に就かれている方は、不断の努力によってふさわしい人格を形成しないといけないと思いました。

僕自身が警察官などに対してそういう見方をしていたところがあるので、まず改めようと思います。

お互いに変えて、もっと高い次元での話となるように努めないと、この国の道徳は本来の日本的なものから遠ざかってしまうような気がします。

まず自信が改めようと思います。そして彼らには「聖職者」という意識をもち、律してほしいと願います。


posted by orangeknight at 10:52
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