2020年07月29日

「新規感染者数が何人」という日本語を考える

このところまたコロナコロナとマスコミが今まで以上にあおる。

 
どういう意図があるのだろう。

 
何を目的としているのだろう。

 
世の中の全ては何かの方向に動かされていると私は考えている。

 
その多くがビジネスという名のお金儲けが多い。

 
コロナで潤うところは必ずあるのだろう。

 
 
インフルエンザに年間1000万人が毎年かかっている。我々も紙一重であったり、寝込んだりする。

 
インフルエンザにかかった1000万人のうち1万人が死ぬ。

 
あえて言いますがたかがしれている。1万人という数字に惑わされたらいけない。年間1万人くらい死なないといけない。生まれる命があるのだから。

人は必ず死にますし、それが20代、30代ならビビりますが、死ぬのは高齢者である。あえて言いますが自然の摂理。私が70歳、80歳になったときも同じことを言うと誓う。私は先人は尊敬しているし、今の日本があるのはそんなお年寄りのおかげであると心から感謝もしている。しかし、そう思っている。

 
ガンはビビればよい。しかし、ガンでもこういう感覚はないか。「前立腺がんはビビらないが、すい臓がんはビビる」それが正しいバランス感覚ではないか。スタンダードな。

 
 
コロナコロナと我々はあおられて必要以上に萎縮する必要もないし、他人を警戒する必要もない。大きなものを失ってしまう。

 
 
新規感染者数。そもそも陽性者数といういうべきだ。

 
みんなそんなに重症化していないときく。

 
PCRをして、コロナのウイルスが体内で見つかったら病気なのか。私は医者ではないから詳しくないですが、そこから発症するかが重要なのではないだろうか。

 
陽性で感染で発症ではないのか。

そもそも陽性でも、元気であれば普通に生活したら良いのではないか。

元気があればなんでも出来るとアントニオ猪木は言う。名言だと私は思っている。

 
コロナに陽性でも元気であればそれで良いのだ。

 
コロナを恐れるなと思っている人も多くいる。ビジネスにはならないかもしれないですが、そんな意見ももっと堂々とマスコミでも言ってほしいと願う。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by orangeknight at 17:44
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