2012年12月13日

舞鶴の裁判結果に一言

誤解をおそれず(いつもどおりですが)言いますが、昨日の舞鶴でおきた高一の少女殺害事件の逆転無罪について、「ほんまかいな」と思ってしまいますね。

確かに、冤罪は恐ろしいこと、疑わしきは罰せずという大原則に基づいて審理され、その結果の裁判官の判決だったんでしょうが、なんか腑に落ちません。

僕は取り返しのつく失敗や過ちをおかした人は、それ相応の償いや反省をしてやりなおせばよいと考えています。

やはり僕を含め、誰にでも間違いはありますし、取り返しのきくものへは最近のメディアの集中砲火のバッシングみたいなものはただのいじめでしかないとも考えています。

これはやはり人には優しく、温かい気持ちで、そして自分におきかえたらという想いでそう考えております。

しかし、取り返しのきかない失敗というより罪、例えば人の命を平時において故意に殺めた、などというようなことへは、その償いはやはり最低、命をもってしなければならないと思いますし、あえて最低と言いましたのはそれでも償いきれないと考えるからです。

ご存知の通り、昨日無罪を言い渡され、「これから生活保護を申請する」とおっしゃる彼は過去に二人も殺しています。

それが無期懲役でたかだか10数年でシャバにでてきていることが甚だ不愉快ですし、はっきりいって疑ってしまいます。

今回の件は彼が犯人ではないのかも知れません。でも、以前の事件の時、もっと厳しく処罰しておけば高一の女の子は殺されていないかもわかりません。

ご遺族、とくにお父さんやお母さんの気持ちを考えると黙ってはおれません。

僕ら人間の裁くことです、必ず全てが正しくないと思います。

お父さん、お母さん、神様は見ています。必ず真犯人は天誅をくらいます、と、しか言えない自分がもどかしいですね。
posted by orangeknight at 14:23
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