2013年02月22日

死刑の執行は当然すべき

日本の刑罰の中で究極は死刑です。

昨日、3人にそれが執行されたらしいですね。

いつもその翌日には、新聞に歴代法相の執行人数などがでますが、僕は法相になったのであればきちんと職務を全うしなければいけないし、勝手な判断で執行を停止するような人は違憲だとも思います。

なぜか、日本では加害者のことを更正させたがりますが、基本、平時において、意図的に罪のない人を殺したら当然死刑だと思います。

いろんなパターンがありますし、その都度入念な裁判が必要ですが、死刑がなくなったら被害者の遺族はどうなるんでしょうか?

死刑反対の方は例えば、自分の10歳の娘がわいせつ目的で連れ去られ、首を絞められて殺されたような場合も反対を唱えるんでしょうか、まるで仏様です。

その制度がなくなったら僕なら自分できちんと仇を討ちます。それこそ至極当然の有様で、そのような方をださないためにも必要な制度なのです。

刑務所の中や、執行する場所などをもっとオープンにすれば良いという意見もありますが、それは残酷なシーンを国民みんなに具現化させ、それで制度反対の世論を作ろうとするグループの策略としか僕には思えません。

そこをさほどオープンにしないことが、刑に服す人への、この世の最後の情けではないでしょうか。

その妙が相手の更正とかそんな次元ではない、きちんと罪は償わせ、そのうえでの同じ人間としての相手への美徳ではないでしょうか。

そして一人殺したとか二人だったとか、この人数による何とか基準ですが、これは間違っています。

間違った裁判官の判例はすぐに正すべきだと考えます。


何でもかんでも権利権利という前に、本当の意味で相手を思いやる気持ち、これをもっと大きな判断基準にすればいいと思います。

人として大切な生き方は武士道だと思います。


posted by orangeknight at 13:39
ページトップ