2019年12月05日

無茶苦茶な裁判

無茶苦茶な裁判ではないかと思います。こんなもの裁判でもなんでもなく、一般の常識と乖離しまくったロボットが下すような判決です。

 
裁判

 
先週も裁判員裁判で一審で死刑になった人を、最高裁は高裁を支持して無期にしました。

 
おかしな司法の判断基準が出来上がろうとしています。危険であります。何か大きな力が動いている。

 
 
上の新聞の新潟女児殺害、裁判官は首を締めた殺害方法は特に残虐、執拗ではないとして「死刑がやむを得ないとは言えない」と言っています。また「被害者を気絶させようとして首を締めたのであって、当初から殺害しようとしていたわけではない」と失礼ながらのたまっている。

 
意味が分かりません。

 
平時において、人の命を故意に奪ったならそれがどのような手段であれ死刑でしょう。

 
誤解していただいてもよいですが、私は加害者が精神的にいわゆる正常ではなかったり、先天的、後天的に障害を持っていたとしても、前述のような殺人をしたのなら一切擁護する必要はないと思っています。

 
この被告小林は、小学2年の女の子を連れ去り、レイプし、首を締めて殺し、遺体を線路に放置し、その体は電車に轢かれたんですよ。

 
どこが死刑に値しないのか、私の思考回路の1%も迷う余地がないのですが、それが正しいのではないでしょうか。

 
裁判所がこのような間違った裁判を展開するのであれば、政府は「仇討ち制度」を合法化するべきだと思う。

 
今回のような場合では、この子の親は仇討ちを自由にして良いという制度です。

 
その際、国はその親を裁かない。また、連鎖を防ぐため、そのことへの報復に関しては国は裁くというもの。

 
 
この加害者が無期懲役で30年以上したら出てくるかもしれないのも納得がいきませんし、その間の生活に税金が投入されるのもおかしい。

 
これが裁判ならしないほうがマシでしょう。被害者とその家族が大切にされるべきで、加害者の人権などは無視するべきである。

だってこの小林は女の子の人権を無視し奪い、そのご家族や関係者の心を大きくえぐったのですから。

 
反省や更生は謝って許されるべき罪の場合に必要なものであり、それでも許されないものは命で償うべきであります。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by orangeknight at 13:43
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