2018年10月28日

やりきる場所

駅伝で四つんばいになって這いながらタスキを繋いでいた。甲子園で800球投げていた。

 
この瞬間のためにやってきたんだという場所があるか。また、瞬間でなくてもここでやりきりたいという場所があるか。

 
ある人は幸せである。

 
仕事でもそうなのでありますが、スポーツでこの大会のためにやってきた人はその大会でやりきればいいし、やりきらせて上げなければいけない。

 
選手の寿命。確かにそれも大切である。

 
しかし、甲子園に出る球児のほとんどはその道のプロでご飯は食べない。

 
そこに出るような子たちは小さい時から一所懸命に練習し、親もそこに人生を賭けている場合が多い。

 
駅伝でも、柔道でも、体操でもラグビーでもなんでも同じでしょう。

 
そこの舞台でアクシデントが起こった。本人はまだ出来るという。やりたいという。意識は確かだ。

 
そうであるなら止めてあげる必要はない。余計なお世話である。

 
やりきったらいい。這ってでもゴールしたらいいし、肩を壊しても投げきったらいい。

 
だってそこを目指してやってきたんだから。リスクと大きな幸せは一体である。

 
その瞬間だけ見て我々は正論だけ唱えるのは間違えている。

 
人は長生きするために生きているのではないと私は思っています。

 
どこかで活躍できる舞台があればそこでやりきればいい。それがその人の使命、いや与えられた天命かもしれません。

 
 
ここでやりきりたいという場所があるか。あるなら全力でやりきるべきである。

 
 
 
 
posted by orangeknight at 11:00
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