2018年09月13日

9.11の報道にいつも思うこと

テレビでテロ9.11から丸17年だと、哀悼の意を示す米国の人々を報道しているが、私は同情はするが同調は全くできない。

 
そもそも日本がもっとキリスト教とイスラム教の中間的な立場を取れればと心底思う。

 
米国は被害者みたいにしているが、イスラム諸国からしたら彼らは加害者ではなく被害者である。

 
お互いにやっている。やりあっている。

 
イラクなど元首であるフセイン大統領が濡れ衣で、ある種因縁をつけられて命まで取られている。

 
命の尊さに差は無いと言われそうだが、かの国は元首がやられている。大将が。

 
米国は少なくとも私のような庶民である。兵隊です。

 
そこはどうでしょう。私は命は手段だと考えるので、大将と兵隊は全然違うと思う。

 
フセイン大統領だけでなく、指導者が暗殺され、それの敵討ちをしたとしたらそれは極めて正常であり、そもそもテロというのは勝者の見解で、敗者はテロという表現は使わない。

 
朝日新聞は吉田松陰をテロリストと呼ぶが、それは歴史を書いている側とは違う動きをしたからでしょう。

 
大河ドラマで西郷どんをやっているが、西郷隆盛は犯罪者でありましょうか。大久保利通は殺されたが、私は武士道としてあれはテロとは思わない。過激ではあるが信念を持っていて、単純な現代で言われる右翼とは全然違う。

 
正義とは人や組織や国、宗教により必ず異なる。

 
それで良いと思う。正義とは歴史をみてもそういうものである。

 
日本の報道はもっと中立であってほしいし、米国の9.11を言うのであれば、フセイン大統領やビンラディン師の事を容疑者と呼ばず同じように哀悼報道すべきである。

 
日本は、日本人はもっと自分の、自国の正義を深く考え、前に出すべきだと私は思いますし、いい加減米国の洗脳は解かれないといけないと思う。

 
 
 
 
 
 
 
 
posted by orangeknight at 00:09
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