2018年07月30日

人が人を裁き、処刑する

私は死刑制度には賛成です。罪に応じた刑罰が必要で、被害者の社会復帰無くして加害者の更生などは意味がないと考えているからです。

 
人を1人なら無期で、2人殺したら死刑というのではなく、平時において、利己的、身勝手で、意識的に人を殺めたらやはりそれは厳正な裁判の結果、死をもって償うべきであると思っています。

 
被害者自身やそのご家族、関係者の尊厳を一番に考えないといけないと思うからです。

 
その立場の上で、今回のオウム真理教の13名の死刑の執行に関し、とてもなんとも言えないもやもやとした気分になります。気持ちが悪くなるんです。

 
やはり、人が人を裁き、処刑するのは辛い事だと思いました。

 
事件から20数年もたち、被害者のご家族がそのことにおいてガッツポーズをしたかとなると、絶対にそんなことはないと思いますし、私自身がその立場でも「そうですか」という一言くらいしか口から出ないと想像します。

 
死刑囚の中には、若い多感な時期にたまたま麻原という教祖と出会ってしまったために、人生をそういう方向に振ることになった人もいたのかもと考えると非常に切ない気持ちになります。

 
私自身が20歳くらいのときにそんな人の強い影響を受け、それを信じ、犯罪とは思わずそれに手を染めてしまっていたら、私の人生はどうなっていただろうと考えると、それは決して人ごとではありません。

 
 
想像してください。

同一事件での死刑執行は同時期にという慣習がある。麻原らの刑が執行されたと聞かされたあなた死刑囚は、毎日どれだけの恐怖で過ごすのか。

 
執行が迫った死刑囚は24時間監視になる。当然本人にそれが近いのが分かる。

 
立場は違いますが、末期のガンになった人が近くにいた人やおられる人なら、そういう死が迫った人の多くの精神状態がどのように破壊されて行くかが想像できると思います。私なら、まだやりきれていないので未練が多い。それに伴い、受け入れられないという精神状態がボロボロになると思う。

 
朝一番に数人の刑務官が一斉に来て、今から執行すると伝えられ、両脇を組まれ、処刑場に連れていかれるんです。

 
方法は首吊りです。白装束に着替え、目隠しされ、ガラス張りの部屋に連れていかれ、首にロープをかけられ、しばらくすると床がバタンと開き吊るされる。

 
 
これを読んで良い気分にはならないと思うんです。

 
しかし、同じ人間が人間を裁く法治国家に生きていて、加害者にも、また被害者にもなるかもしれないという紙一重の位置に存在する我々は、その実態を知っていないといけないと思います。

 
 
最後に、それを担当する刑務官やその周囲のさまざまな係の方々の精神的負担も甚大なものだと想像します。

 
実際の立場の方々にしか分からないご苦労もあるでしょう。また、そんなきれいなものばかりではないはずです。しかし、そいう役割をしてくれる人もあるおかげで国が機能している。感謝です。

 
 
最後に、やはり人が人を処刑する。それは虚しいことです。できれば犯罪などなくなれば良いのに。

 
死刑は抑止にはならないと、以前何かの本に書かれていました。私もそう思います。

 
しかし、人を殺めたのであればそれはやむを得ない。

 
人間社会とはいったい何なんでしょうね。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by orangeknight at 13:48
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