元兵庫県議の竹内さんが亡くなられたらしい。
びっくりした。ええっ、そうなのか。と感じた。
斎藤知事の件でいろんな事がありましたが、亡くなられたんですね。
直接の理由は存じ上げません。
ただ、1つ思うのは、未だにSNSで斎藤派だ、やれアンチだと、お互いに誹謗中傷を繰り返しておりますが、彼らはいいかげんにしないといけないということです。
どちらの陣営もまず人間性が悪いですね。
そして品がありません。
どこの誰なんだというネット民が、あたかも自分が正しいと他人を批判する。
正しい意見もあれば、間違いもありますって。
また、斎藤知事においても、この意見は賛成だが、これは少し違うなあと、これがまともな人間の感覚です。
斎藤知事派は斎藤知事のやること全てオッケー。アンチは全部反対って、私には幼稚にしかみえません。
アイドルではなく、政治家を応援するとはそんなものではないのです。
幼稚なポピュリズムは独裁者をつくります。
そう、SNSで斎藤知事派の今やっていることは、斎藤知事が失職したとき、斎藤知事やご家族を誹謗中傷していた人々と紙一重なのです。
私は斎藤知事を応援しています。
何かあれば出来ることはしたいし、困ったら助けてほしいとおもっています。
しかし、竹内さんのやりかたを批判はしても、その人間個人を叩きつぶすようなやりかたはどうかと強烈に思います。
竹内さんと最後に会ったのは昨年の10月7日でした。
なぜその日を忘れないかは、私が最初に斎藤知事とお会いした日だからなのです。
朝6時45分くらいから、姫路駅北口で斎藤知事を一人待っていたら竹内さんが来ました。
そこで、毎週恒例なのか通勤前の方々に向けて演説を始められるようでした。
ひとこと挨拶程度でしたが話はしました。
しばらくして松本剛明代議士も来られ、そこでバトンタッチして演説をはじめられたところ、ほどなくして斎藤知事が来られ、松本先生に挨拶するも、向こうにいってくれと言われたあのネットによく出ていたシーンになるのです。
実は竹内さんは何年も前、私の父の通夜に来てくれたことがあります。
人の未来はわからないものですね。
評価はいろいろありますが、他人からの評価はそれが自然な状態です。
賛同できる面、反対となる面があって然り。
人間自体を否定するのは間違っています。
SNSで、未だに斎藤知事関連でしつこく盛り上がっている諸君は日常にかえるべきであります。
その日常において、自分自身が何かを成し得ないといけないでしょう。
それをしないで斎藤知事は正しい、間違い、と偏った意見に終始するのは評論家と同じであります。
いや、安全なところから弾を打つのだからまだたちが悪いのではないでしょうか。
斎藤知事ご自身も、アンチは当然でありますが、斎藤知事を応援しているという彼らの品のない誹謗中傷にはうんざりしているはずです。
だって、同じことを同じような口調で言ってこられていたんですから。
SNSでやっている事、発言、物言い、口調、それらは自らの子供や甥や姪に見せられますかと自分自身に問うたらいい。
その踏み絵こそを、表現の自由の判断基準としたらいいと私は考えます。
ご家族、特に子供さんの気持ちを考えると胸にこみあげるものがあります。
心からご冥福をお祈りいたします。