社長の日記「つみかさね」

社長の日記「つみかさね」

2025年01月16日

阪神・淡路大震災からもう30年か

明日で阪神・淡路大震災から30年ということです。

 
そこまで当事者ではなかったものですから、早いものと感じます。

 
あの朝、私は実家の2階で寝ていました。

6畳の自分の部屋でした。

体半分を押入れの中に入れ、上半身だけ部屋に出ているスタイルで布団を敷き(折れば布団が敷けるし、たためるので)寝ていたんですが、木造の柱のねじられる音で目が覚めました。

 
ミシミシミシと。

祭りでかつぐ屋台を、いわゆるがぶったときのより大きな音でした。

それは今まで聞いたことのない音でした。

 
今では考えられないですが、そこから起き、記憶はないですが朝ごはんを食べ、当時高校生だったので駅まで行ったことを覚えています。

 
駅に着くと、高校の先輩が「電車が止まっているらしい」と教えてくれ、家に引き返しました。

 
現在ならテレビやスマホで情報はとりますし、そんな状態で駅までいかないでしょうが、それが30年前の日常だったとおもいます。

 
そこからは正直まだ子供で、冒頭に書いたように当事者意識もなく記憶はありません。

 
ただ、映像で観るあの神戸の街、悲惨な地震だったと感じます。

 
 
建築に関わる仕事をしていて、安心感のある構造である新築時は感じませんが、、リフォームではまだまだ不安を感じるおうちがほとんどです。

 
この家は地震があれば1階の柱が倒れ、2階がぺシャンと落ちてくるだろうと想像することがよくあります。やはり壁の筋交いでの補強、そして屋根はひと昔前の戸建てでは瓦ではなく、軽い素材に葺き替えされた方が絶対にいいでしょう。

 
今はこの仕事をさせていただいているので、あのときのような自分にはあまり関係がないという感覚はありません。

 
地震があったとき、少なくともいつも居られる部屋がしばらくは倒壊しないよう、その部屋だけでも補強を入れたいと思いますし、金物はしっかり施工することは大切だと感じております。

 
よく神戸にいきますが、想像もできないくらい復興しています。

 
これはあのとき大人だった人たちがやってくれたおかげであるわけですよね。そう、勝手に建物は解体されないし、新たに建たない。

 
現在、世の中の戦力になっている年齢でありますから、今の時代にそういうのがあれば恩返しはしないと循環しないなと思うのです。

 
 
あのとき姫路の街も神戸同様に崩壊していたらどうなっていただろうな。

 
また人生も、そして価値観も少し変わっていたんだろうな。いや、そもそも生存していることにも感謝ですね。

 
 
まず自分にできること。

 
それは日々の工事でそれを想定して提案すること、そして施工すること。

 
そんな小さなあちこちの積み重ねが次の被害を小さくするはず。

 
今日もやりきります。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by orangeknight at 07:39
ページトップ