社長の日記「つみかさね」

社長の日記「つみかさね」
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2022年01月11日

見積り提出

 
お客様に「見積りを見てもらってから検討していただこう」という思考回路の営業マンはどの世界でもなかなか売れない。

 
彼らは一概に「ぜひ見積りだけでもさせてください」と言う。

 
また、彼らは見積りをお客となる人に対しておごそかに提出する。

 
見積り獲得に全神経を使う人もいる。

 
売りたければそれは違う。

 
だいたい見積りをすることに何か意義はあるのか。これは昔から思っている。我々も「見積り無料」とうたっているし、世の中ほとんどの会社がそうであるが、実際に見積りにはお金はかかっている。

 
そう、見積りには時間や手間、紙やガソリン代、いろんな経費がかかっている。であるならば、決まりもしない見積りを提出することは意義があるかというどころか、会社にとっては損失である。当然個人としても同じだ。

 
 
本当に買っていただきたいなら、お客様に検討していただくのは見積りを提出するまでである。

 
営業マンの印象、立ち居振る舞い、話、そしてプレゼンテーション。この段階でお客様に欲しいと思わせるかが全てである。

 
その中にふんわりと価格の話も交える。ふんわりと。

 
買い手にとって途方もない価格だとダメだし、予算は無いと多くの方が口にはするが、漠然とはあるものである。

 
そうやって相手がどんなもので、いくらくらいなら買ってくれるのか、徐々にピントを絞っていくのである。

 
そして、見積りだ。

 
おごそかに、うやうやしくなど出す必要はない。かかるものはかかるのだ。

 
売り手は買っていただくその価格に見合ったサービスを、いや、それより少し期待を上回るサービスを提供すればいい。なので見積りは堂々と出せばいいのだ。

 
 
見積りを見てもらってから検討していただこうとするから失注する。お客となる方は、営業マンと一緒にいるその商談中が、買いたいという気持ちのピークである。営業マンが帰ってからはそれは徐々に下降するのが必然なのだ。

 
だから、見積りを出した瞬間に買っていただけるように、その前段階を大事にするのだ。前段階に全神経を、熱いパッションを込めるのだ。

 
 
繰り返しますが、見積りの提出に意義はない。オリンピックではないですが、参加することになんの価値もないのが見積りである。

決まらないと。決めていただかないと買い手のハッピーも売り手の存続も何もない。

 
 
見積りを出す側にもなるし、出される側にも私はなる。自分もそこに気をつけて営業しているし、そういう人から買いたいと思うし、買っている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by orangeknight at 09:51

2022年01月10日

大河「鎌倉殿の13人」いいですね

昨日の大河「鎌倉殿の13人」はおもしろかった。ここ数年、第一話はこれから1年間の付き合いのため、あまりおもしろくないが頑張ってみるという我ながらの傾向がありましたが、今年はそうではなく、嬉しかった。

 
清盛が太政大臣になり、栄華を極めたそのあたりから、一門が壇ノ浦で滅亡するまでの20年は特に何度本を読んでも、テレビや映画を観ても切ない気持ちになる。

 
ずっと存続することなどないし、どんな人でも滅びる。平家物語の冒頭は小学生の頃からずっと頭にある。

 
 
小池栄子さんは年齢がいくにつれ演技が上手くなる。目と口角の上がり方が積極性をとてもよく表現する。

 
誰か知らないが小栗旬さんの父上の役の話し方や雰囲気は三谷幸喜さんっぽい。いつもながらその時代と現代のマッチングみたいな。

 
松平健さんはそのままが入道でぴったりに感じた。昔は暴れん坊だったのに、サンバになり、これからは入道でまたブレイクしそうである。

 
 
あの時代の登場人物では、私は後白河法皇っていったいどういう人だったのかにとても興味がある。

 
この正月に平家物語を再度読んで予習をしておいた。この大河のために。

 
観光や旅行に行く前に予習をしておくと、おもしろさ倍増ということにいつの頃からか気付いた。なので読んだ。

 
 
来週から楽しみであります。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by orangeknight at 13:19

2022年01月09日

昔の地図を見ながら想う

昔の地図を見るアプリが好きで、たまに見ています。

 
1900年ごろは、例えば姫路なら姫路城のまわりにたくさん家や店があり、郊外に行くと荒地と田畑がずーっと広がり、集落があり、その村を抜けるとまた荒地と田畑というのを繰り返す。

 
大河ドラマや時代劇の、あの移動のシーンのようなものです。山道や田畑をテクテクテクと歩いていく。

 
現在の住所にある地名。あれはほとんどが昔から使われており、オレンジナイトの姫路本店がある飾磨区中島なら、会社から少し北、今のJAのあたりの集落が中島村。

そこからまたテクテクテクと北に歩いていくと下野田村がある。また北にしばらく歩くと中野田村。さらに北には上野田村があり、そこはもう少しで姫路バイパスに到着するあたりであり、現在も古いおうちが並ぶ。駅南大路など全部荒地だ。

 
 
阿成渡場は現在のあの川沿いの小さな集落。周りは田畑で阿成植木村は早川神社のまわりだけ。あとは市川インターまで何もない。遠くには先程の中野田村と上野田村が見えるのみ。

 
 
人口が少なく、生活様式が現在とは異なったからだと思いますが、いずれまたそのように変化していかないと人は生きていくのが困難となる。

 
100年後、人口が今の3分の2や半分強となったとき、存続できない都道府県が出る。そして、必ず生き残れない市町村が生まれるだろうし、国や県は人を集めようとする。

 
両隣も向かいも裏もが空き家という町では自治会の機能が果たせない。100件で維持していた機能を20件では不可能となる。

 
バブルの頃に郊外に人口的に造られた街は西区や三田市くらいになれば生き残るが、夢前町レベルの点在する集落はあちこちでゴーストタウンとなると思う。

姫路では白鳥台や緑台から夢前町の〇〇タウンと名付けられた集落はやがてここ10年や20年で解体ラッシュとなり、田畑に戻る。いや、昔ではないからまた別の、少し前でいうところの太陽光パネルの設置場所みたいな新たな利用方法が生まれる。

 
100年後だから関係ないとは思えない。現在もそこに世の中は向かっているから、それを予想して生きる必要があるし、より住みやすい世の中を、子供の世代に残してあげたいと切に思うしやらないといけない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by orangeknight at 11:34
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