
姫路駅から降りて北口から出たら、姫路城が真正面に見えるように駅を設計したとか、今日だと、駅北の2号線は昔は一方通行じゃなかったなどの記事が書かれている。
私はまだ44歳なので、諸先輩方ほど本当の昔の風景は知らないが、それでも懐かしいと感じる。
姫路駅の北口は昔は確か東の方にあって、みゆき通りに向かうようになっていたと思う。階段を降りていった記憶がある。
小さい頃は「姫路に行く」という表現を使っていた。これは姫路駅の北側周辺を指し、ここを姫路と言っていた。みんなそう言っていたように記憶しているが、間違っているかも。
20歳くらいの時、Y32のシーマをシャコタンにして、フルエアロでちょっとイキって走っていた。朝日橋を南から上がり、右に曲がり、そして左に曲がってすぐの所でいつもガリっと擦っていた。車高が低いので。
将軍橋もそう。坂道でスピードがのってくると、橋の道路のコンクリートを繋いでいるような、黒いゴムみたいなラインで車が跳ね、擦っていた。少し盛り上がっていたんですよね。
木場に住んでいたので、飾磨から姫路の北側に行くのには渋滞は当たり前と思っていたなぁ。
将軍橋の北側に並んでいて、今は南北の道路の西側に立ち退きになった家や、朝日橋の下の家には解体工事の飛び込み営業したなぁ。20代だった。
ピンポンピンポンと次々にいって、見積り依頼はいただけたけど、みんな他所も狙いは一緒で、10社くらいの相見積りは当たり前。1件もとれなかった。
いや、その時に飛び込んだ一番端の家。「わしとこは立ち退き違うんやけど」と見積り依頼をいただき、防水工事と内装工事をさせてもらった。西行きの一方通行の起点となる巽橋の信号のところのおうち。数年前に亡くなられたが、そう言えばその時からお世話になった。
皆さんいろんな思い出があるでしょう。
姫路の街、小学生の頃、クリスマスプレゼントを買ってもらいに何度か祖父母に連れて行ってもらったヤマトヤシキが懐かしい。
あの活気に満ちた店内の光景は忘れない。寒い年末、今の三井住友銀行の前側の重いドアを手で開け、店内に入るとムウッとする暖房とそれに乗った香水の匂いが子供の心を昂らせた。
古きよき時代っていうんでしょうか。懐かしいです。そして、いろんな人の努力で、より住みやすくなってきたんだと改めて感じ、また気付きました。感謝です。