
中国の権力闘争は凄まじいです。それ自体はどこの国にも社会にも、どんな組織にもあるでしょうが、中国のそれは命が当然のようにかかっている。
五年前には習近平の次の有力候補だと目されていた孫政才が拘束された。
もっとも、今年春ころからメディアは孫政才に勢いがない論調でしたので、目に見えない大きな力はそれ以前から動いていたのでしょう。
前の重慶市のトップ薄熙来は失脚以来無期懲役となっている。あれだけの力を持っていたのに終わってしまった。ある日突然公安が来て問答無用で拘束、前日まであった権力がその瞬間に失われる。
中国では収賄なんか当たり前、いや文化であり慣習ではないのではと思うのですが、それを権力闘争では悪として利用される。
正しいか正しくないかは力を持っている者が正しく、劣る方が正しくないとされる。原則正義とはそういうものかとも考えますが、なかなか恐ろしい。
中国では五年に一度党大会が開かれます。前回大会で習近平が国家主席に選ばれた。
今回の大会ではその後継が決まるかが注目されています。
どこでもそうですが、権力は次が確定した時点で急速に移っていくもので、習近平にしたらそこは決めたくはないでしょうし、自分の子飼いをそのレースに入れ込みたいのは必然でしょう。
夢を実現したければ、権力を望んだらそれと「同じ分だけ」リスクも抱えることになる。その究極がチャイナドリームか。
中国では国家主席に就任すると、前の国家主席の力を剥いでいき、自らのブレーンでいかに周囲を固めるかが自分自身の権力基盤を形成する上で非常に重要なこととなります。
それは、前王朝を全否定することから始まるかつての易姓革命そのものであると思いますし、それがシナの歴史であるとも感じます。