社長の日記「つみかさね」

社長の日記「つみかさね」

2015年07月09日

だからどうする

「現状はこうです、だから私はこのようにしたらよいと思う。」という事が大切で、そしてそのように言ってくる人こそ人財なのだと思います。

社内でもそういうふうにしようと話をしているのですが、その「だからどうする」という部分が無いものは単なる不平不満でしかなく、それは深く考えれば考えるほど聞くに値しない言葉ではないかと思うのです。

その反対で、少々耳の痛い事を言ってくる人の意見でも、だからどうするという部分があればそれはきちんと聞かなければいけないと考えます。

これは、誰もが元々は持ち得なかった問題解決能力であり、それは当事者意識と訓練で身につくものであると思います。

現に小さい子供は「人形の手がとれたー!」「誰々くんが遊んでくれない〜」とその後をどういうふうにするかという事をまず言いません。

「誰々くんが遊んでくれない〜、明日は何で遊んでくれないのか一回聞いてみる。そして、もっと僕から遊ぼうって言ってみる」とまで言う小さい子供はまずいませんが、それが成熟した人間の発する言葉ではないかと思います。

「だからどうする」という事を考えないということは楽チンなことです。言うだけが一番楽であり、その問題を解決するのが一番大変なことですから。

でも、これは会社にふりかかる全てのことに対し「だからどうする」という事を考えないと物事が全部ストップしてしまうと当事者になって初めて真剣に理解できたことであり、それまでは毎日毎日起こりうることを誰かが「だからどうする」と対処していてくれたことさえ気付きませんでした。


そして、物事に自然消滅と放置はないのが現実だと感じました。


うちの会社にも役員の平本筆頭に何人も「だからどうする」という事まで言ってくる人間はいますが、これは私は貴重な存在であり、それこそが真の大人だと思うのです。

そういうふうに言われると、不思議なもので共有しよう、助けよう、私も考えようとなるのが人間です。


少し前に赤穂店の店長の東と話をしましたが、組織の中で「できません」という言葉はありえない単語です。

できませんと言うならその組織から去るしかないです。

存在意義がないでしょう。

しかし、それを「これは非常に難しいことではないでしょうか。それならばこれこれこのほうが私は良いと思いますがいかがでしょうか?」と言われると「確かに、そうかもわかりませんね。そのほうが上手くいくような気がします」となるのはどこにおいても同じでしょう。


繰り返しますが、身の廻りで起こっている全ての事は誰かが「だからどうする」を考え、実行しています。

例えば昨日の株価の暴落、道路で車にひかれたネコの死骸、現場で間違ったものが納品されたとき、売上があがらないときなどさいたるもので、誰もが何もしないことなどないのです。

だから必ず私も言うようにしていますし、これからも絶対にここまで言います「だからどうする」

それが成熟した人間の振る舞いだと考えます。


posted by orangeknight at 18:19
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