バッカンにゴミがいっぱい入ることは当たり前ではない、本当にありがたいことである。なぜそう心から感じるか。
それは創業時はバッカンにゴミが空だったから。
会社を始めたとき、バッカンは今の姫路本店の前の駐車場に置いていました。
駐車場の東端、用水路の横に一つ置いていました。
他に置く所もなく、無いと困るのでそこに置くことにしました。
車もアルトが二台、軽トラが一台しかなかったですし、自慢ではないですが来客などほぼいませんからそれでも事足りていました。
そして、バッカンにゴミを入れるときは必ず道路側にいろんなゴミをまず立てかけ、道行く人がいっぱい工事をしているなと思ってくれるように演出していました。
こんなふうに。

これはもう創業メンバーである取締役本部長の平本や最初からの親方衆しか知らないことですが、私はいつもこれにはこだわっていた。
よく大工の高下親方に「まめやな〜」と言われたのもとても良い思い出です。
いつもゴミが出るとバッカンの中に入り、ひたすら外から見たらたくさんの解体ゴミなどが入っているように「盛り付け」をしていました。
だから、今、バッカンにいっぱいの解体した廃材なんかが入っていることに対する感謝の念は人一倍強いと思います。
味の分からない新規にオープンしたラーメン屋、行列ができていたら並びたくなるのが人の心理。いくら最高に美味しいラーメンを出す店でも、食べてもらわない限り始まりません。どんなことでもちょっとしたことの積み重ねは必ず身を結ぶ。
バッカンの中に入り、いつも廃材を道路側に盛り付けていたのはそんな思いでやっていました。