「地位が人をつくる」ということわざがあります。
かくいう私自身もそうだと思います。人ができていると言っているのではありません。
ある日突然「社長になーろおっと!」と勝手になった私。
誰にもなる権利があり自由です。出世したわけでもなく、どなたに指名していただいたわけではなく、書類一つで「勝手」になったのです。
勝手になったんですが、私はなってよかったと思っています。
それまでに比べ責任が増え、相談され、毎日いろんな事を判断し、痛い想いも繰り返してきたことにより考え方が大きく成長しました。
私は7年前と同じような人間性であれば、現在自分自身が潰れてしまっていただろうと断言できます。
何が言いたいのかと言いますと、仕事や地域社会では必ず他人と関わりをもって生きていきます。
その際に現在の自分自身には不釣り合いかもしれない役職や立場をどんどん受け入れたほうがよいということです。
私のように勝手になるもよし。
店長や主任に昇格するもよし。
委員に立候補など更によし。
人間は自分自身で高めるより、環境により高めてもらったほうが成長できると思います。
部下ができ、相談され、意見され、かばい、怒ったりしているうちにいつしかその役職や立場にふさわしくなっていくものです。
それは決して楽なものではないでしょうが、その機会があるなし比べると決定的に人間形成の速度に差がでると思います。
いくらセミナーに行っても、何冊本を読んでも、それは補助的なものにすぎず、一番の成長材料は実社会であると思います。
ですから、割りの合わない役割もあるでしょう、無報酬なのに非常に忙しいという立場などこの世の中にはザラにあると思いますが、得てしてそんなことを体験させていただくと人間成長しているものだと思います。
最近、上にはあがりたくないという人もたくさんおられると思いますし、うちの会社にもいるやもしれません。
しかし、それはもったいないことです。
今の自分とは不釣り合いであればあるほど、そのギャップにたどり着いた時、成長は加速度的に行われたんではないでしょうか。
「ふさわしい人間になろう」とすることが最も大切なんですよね。
2014年10月11日
地位は人をつくってくれる
posted by orangeknight at 12:08
2014年10月09日
和室の工事にて
姫路市夢前町寺のK様邸の和室工事が終わったのでご覧下さいね。
和室二部屋の畳を新調と、襖と障子の張替えをご依頼いただいていました。
着工日、畳職人から「畳をどけたらコンパネがカビだらけやで」と連絡があり見に行きました。
たしかに、全体がカビでまっくろでした。
コンパネ自体も何やら湿気ていたので、二階を工事していた大工の隅岡親方にコンパネを少しくり抜いてもらい、床下を点検することにしました。
すると、床下自体は他社で調湿材や換気扇を入れられていたので乾いているんですが、床下の地面側から上のコンパネめがけてウレタンフォーム(泡を吹き付け、それが乾くと発泡スチロール状になる断熱工法です)を施工しているのでそれが通気を完全に遮断し、裏面も表面もコンパネがカビだらけになっていました。
このままではいくら畳を新しくしてもすぐにカビてしまうので、畳下地をやりかえることにしました。
そして、今回はコンパネではなく、昔は当たり前に使われていた杉板を下地に採用することにしました。
ウレタンフォームが根太や大引きにも付着していたり、床自体のレベルも少しこけていたので束(つか)部分からさっぱりやりかえることになりました。
撤去後です。
新しい大引、根太を二部屋に敷いていきます。
大工工事の後、最後に新しい畳を敷くとい草の良い香りに包まれ、とても美しい部屋に生まれ変わりました。
そして、当然ですが「床がしっかりしたな!」と仰っていただけました。
昔は畳も年に一度くらいはあげて、パンパン叩いて干していたらしいですが今はそんなことしませんもんね。
快適にお過ごしいただければ幸いです。
和室二部屋の畳を新調と、襖と障子の張替えをご依頼いただいていました。
着工日、畳職人から「畳をどけたらコンパネがカビだらけやで」と連絡があり見に行きました。
たしかに、全体がカビでまっくろでした。
コンパネ自体も何やら湿気ていたので、二階を工事していた大工の隅岡親方にコンパネを少しくり抜いてもらい、床下を点検することにしました。
すると、床下自体は他社で調湿材や換気扇を入れられていたので乾いているんですが、床下の地面側から上のコンパネめがけてウレタンフォーム(泡を吹き付け、それが乾くと発泡スチロール状になる断熱工法です)を施工しているのでそれが通気を完全に遮断し、裏面も表面もコンパネがカビだらけになっていました。
このままではいくら畳を新しくしてもすぐにカビてしまうので、畳下地をやりかえることにしました。
そして、今回はコンパネではなく、昔は当たり前に使われていた杉板を下地に採用することにしました。
ウレタンフォームが根太や大引きにも付着していたり、床自体のレベルも少しこけていたので束(つか)部分からさっぱりやりかえることになりました。
撤去後です。
新しい大引、根太を二部屋に敷いていきます。
大工工事の後、最後に新しい畳を敷くとい草の良い香りに包まれ、とても美しい部屋に生まれ変わりました。
そして、当然ですが「床がしっかりしたな!」と仰っていただけました。
昔は畳も年に一度くらいはあげて、パンパン叩いて干していたらしいですが今はそんなことしませんもんね。
快適にお過ごしいただければ幸いです。
posted by orangeknight at 15:02
2014年10月07日
働くという事とは
「自分探しの旅」を若い子はする。
実際に旅に出る者、いくつかの職場を転々とする者、また思想や宗教に傾倒する人などさまざまです。
いや、大人になってもする人はします。
いったい自分はどうしたいんだろう?どうすれば良いのだろう?と考える事もあるでしょう。
迷いの境地に陥り、朝から晩まで考える人もなかにはいると思います。
自分が社会から取り残されたような感覚、将来への不安、どうすればよいのだろうという感覚です。
働くとはいったいどういう事なんだろうと考えます。
毎日毎日朝から晩まで、自分は何のために働いているのだろうと。
「自分のために働いている」もしくは「家族を養うために働いている」と真っ先に考える人は仕事を楽しいか楽しくないか、おもしろいかおもしろくないかで考えるので、真の充実は得られないと思います。
自分や家族がごはんを食べるためにする労働では自分探しは終わらない。自分は一生みつけられない。
今、どこで何の仕事をしていようとその場所、環境を考えるのは間違いで、自らの考え方を変えると働くことに充実がもたらされます。
先日、テレビの金スマで埼玉県の「川越救急クリニック」という病院が紹介されていて、その院長の上原先生のことが放送されていた。
氏は救急医療の現状を憂い、このままではいけないと自ら救急病院を作ったらしい。
救急車は今現在どこでも即座に受け入れが困難な状況で、5件目6件目が当たり前、それが夜中ともなると受け入れされるまでにかなりの時間を要し、それがスムーズであると助かった命はもっとたくさんあったとのことでした。
そこで、その先生は診察がより少ない夜中にいつも働き、朝方にヘトヘトになって一日を終え、少し寝てまた診察するという毎日で少しでも助けられる命や、痛みや不安を患者からとってあげることに邁進していました。
しかも、個人の病院でCTなど高額な医療設備に投資したり、診療報酬の高い検査を繰り返すなどということを一切しないためテレビでは月収20万円程度だと言っていた。昼間に他の病院にアルバイトにも行っておられましたし、ここまでのことをされているのにお金はないと言っていた。
いろんな事を想いましたし、感動しましたし、こういう人をほおっておいたらいけないだろうと思いました。
その想いはたくさんありますが、ここで言いたいのはそういう仕事、働くというのが最高の状態ではないかということです。
自分のために毎日毎日徹夜で仕事ができますか。
収入も少ない、救急なので特に裁判のリスクもある、自分のための時間はほとんどない、しかしこういう方は「なんのために働きますか」と聞かれたら即答できると思います。
今の境遇に感謝し、公(おおやけ)のために働く、会社の誰かが助かるからこれをする、こういった感覚を持てたら、疲れなど出ませんし、使命感でいっぱいではないでしょうか。
人は自分のために働いても充実はしません。
人は自らが生活するために仕事をしても何もみつけられません。
そして、人はすべからく人の役にたちたいという本能をもっていると私は思っています。
自分は人の役にたっている、社会に貢献していると感じたとき、人は満たされるのではないでしょうか。
ということは、今現在の場所でまず考え方をかえるのです。
自分の使命を考え、自分の「身を削って働いたとき」もっとも満足感をえられるんではと私は思います。
自分探しの旅の結論は「探してみつかるものではないという事を知る」であると思います。
与えられた「今」を感謝し、毎日毎日同じことを繰り返していれば、探さなくても自分というものの存在意義はあきらかになってくるのではないかと思います。
あきらかになるように何事に対しても邁進することが大切ですね。
実際に旅に出る者、いくつかの職場を転々とする者、また思想や宗教に傾倒する人などさまざまです。
いや、大人になってもする人はします。
いったい自分はどうしたいんだろう?どうすれば良いのだろう?と考える事もあるでしょう。
迷いの境地に陥り、朝から晩まで考える人もなかにはいると思います。
自分が社会から取り残されたような感覚、将来への不安、どうすればよいのだろうという感覚です。
働くとはいったいどういう事なんだろうと考えます。
毎日毎日朝から晩まで、自分は何のために働いているのだろうと。
「自分のために働いている」もしくは「家族を養うために働いている」と真っ先に考える人は仕事を楽しいか楽しくないか、おもしろいかおもしろくないかで考えるので、真の充実は得られないと思います。
自分や家族がごはんを食べるためにする労働では自分探しは終わらない。自分は一生みつけられない。
今、どこで何の仕事をしていようとその場所、環境を考えるのは間違いで、自らの考え方を変えると働くことに充実がもたらされます。
先日、テレビの金スマで埼玉県の「川越救急クリニック」という病院が紹介されていて、その院長の上原先生のことが放送されていた。
氏は救急医療の現状を憂い、このままではいけないと自ら救急病院を作ったらしい。
救急車は今現在どこでも即座に受け入れが困難な状況で、5件目6件目が当たり前、それが夜中ともなると受け入れされるまでにかなりの時間を要し、それがスムーズであると助かった命はもっとたくさんあったとのことでした。
そこで、その先生は診察がより少ない夜中にいつも働き、朝方にヘトヘトになって一日を終え、少し寝てまた診察するという毎日で少しでも助けられる命や、痛みや不安を患者からとってあげることに邁進していました。
しかも、個人の病院でCTなど高額な医療設備に投資したり、診療報酬の高い検査を繰り返すなどということを一切しないためテレビでは月収20万円程度だと言っていた。昼間に他の病院にアルバイトにも行っておられましたし、ここまでのことをされているのにお金はないと言っていた。
いろんな事を想いましたし、感動しましたし、こういう人をほおっておいたらいけないだろうと思いました。
その想いはたくさんありますが、ここで言いたいのはそういう仕事、働くというのが最高の状態ではないかということです。
自分のために毎日毎日徹夜で仕事ができますか。
収入も少ない、救急なので特に裁判のリスクもある、自分のための時間はほとんどない、しかしこういう方は「なんのために働きますか」と聞かれたら即答できると思います。
今の境遇に感謝し、公(おおやけ)のために働く、会社の誰かが助かるからこれをする、こういった感覚を持てたら、疲れなど出ませんし、使命感でいっぱいではないでしょうか。
人は自分のために働いても充実はしません。
人は自らが生活するために仕事をしても何もみつけられません。
そして、人はすべからく人の役にたちたいという本能をもっていると私は思っています。
自分は人の役にたっている、社会に貢献していると感じたとき、人は満たされるのではないでしょうか。
ということは、今現在の場所でまず考え方をかえるのです。
自分の使命を考え、自分の「身を削って働いたとき」もっとも満足感をえられるんではと私は思います。
自分探しの旅の結論は「探してみつかるものではないという事を知る」であると思います。
与えられた「今」を感謝し、毎日毎日同じことを繰り返していれば、探さなくても自分というものの存在意義はあきらかになってくるのではないかと思います。
あきらかになるように何事に対しても邁進することが大切ですね。
posted by orangeknight at 13:17
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