ただ、年上も多いし気ももちろん使っていますが、働きにきてもらっているなどとはこれっぽっちも思っていません。
そういう想いを新人に対していだくのは少なくとも数ヶ月経ち、何かしら認められるようになってからであり、ご縁には感謝しますが入社してくれてありがとうとは思っていません。
うちに入ってくる新人の者も、その辺はよくわきまえた者がたくさんいるので良いんですが、僕のこの常日頃からの想いを今月の月刊誌「致知」が特集「歩歩是道場」の一節として書いてくれていました。
全く同感ですし、この記事をコピーし、今日明日で会社のみんなに読ませようと思います。
「歩歩是道場」というのは僕は初耳でしたが、禅の言葉で、日常の一挙手一投足、そのすべてが自己を鍛える道場だという意味とのことです。
道場は静謐な山中にだけあるのではなく、今自分が置かれている立場、状況はそのまま自己を磨く道場。いつであれ、どこであれ心がけ次第で自分を高める修行の場になる。そういう生き方をしなくてはならないと説かれている言葉です。
その記事は早乙女哲也氏という天ぷらの名人と言われている方のものですが、17歳で弟子入りしたときからのことが書かれていました。
全てが印象深い内容でしたが、その中から一つだけ書き写させてもらいます。
ここから本文
若い頃に覚えるべきは仕事ではなく、我慢
私のところにも料理人志望の若い子たちがよく訪ねてきて、寿司屋でも西洋料理屋でも「どこかいい店を紹介してください」と言ってきます。
私はいくらでも紹介はしますが、その前に必ず次のことを言って聞かせます。
「あんたたちは仕事を覚えにいくんじゃないんだよ。その店へ我慢を覚えに行くんだ。我慢を覚えたら、もうその時にはちゃんと仕事も覚えているから。店のオヤジさんが気分良く寿司が握れる、快適に料理ができる、あいつの掃除は凄いなと感心される。そうやってオヤジさんにとって気分のいい掃除ができるか、気持ちのいい皿洗いができるか。それができた時には、オヤジさんと同じリズムで仕事ができているということで、オヤジさんを超える気配りがあなたにあるという証拠だ。」
そう言って送り出すと、途中で辞める人はほとんどいません。駆け出しの頃に店を移りたくなる理由のほとんどは「上の人が何年経っても仕事を教えてくれないから」というもの。
そうではなく、五年我慢したら五年分、十年我慢したら十年分、ちゃんと仕事を覚えているもんだと、私の経験からもそう思います。
また、若い人に限らず、物事を斜(はす)に見たり、すぐ理解したような風をして、「ああ、分かりました、分かりました。」などと言う人がいますが、これは一番いけない。
痛くてもケガをしても、その時どんな思いをするとしても、物事を真正面から受け止める。
そうやって正面から受け止めたものだけが、自分の中に財産として蓄積されていくのです。
以上、本文から
僕はその通りだと感じました。
現在はキャリアアップとか、スキルとか、そういうのが流行りかもわかりませんが、本物になりたければこういう事が心で理解できるようにならないといけないし、理解できないと本物にはなれないと僕は思います。
うわべではなく、会社や社長、オーナーや代表はそうやって真に新入社員を大切にしないといけません。
大切なものを伝えてあげるのが役割だと思います。
新人は丁稚として、仕事より挨拶や掃除、礼儀をまず学び、自分には現時点で何ができるのか、大きな声出しで十分だと思います。そして、自分が何をしたら周りの人が仕事をしやすくなるのか、これだけ考え繰り返していってほしいです。
気遣いのできる人で、仕事ができない人なんていませんもんね。
我慢って大切です。
歯を食いしばるって財産ですよね。
そうやって生きないとと思います。
「致知」良いですよ。もし良かったらお申し込みください。勉強になります。