社長の日記「つみかさね」

社長の日記「つみかさね」

2013年05月08日

この世の中は不平等

「この世の中って全然平等ではないと思うんですが、どう思われますか?」との質問をある社員からされました。

なぜ、その質問に至ったかはともかく、僕は「平等ではないと思うで、平等である権利は持っているかもしれないが、どういう意図でそれを聞きたいのかわからないが、全員が同じではないと思うで」と答えました。

「そうですよね、でもそれについてどう思われます?」とまた突っ込まれた(笑)ので僕の考えをその具体的事象に照らし合わせて語らせてもらいました。

しかし、その後自分でもその事について考えてみました。

「平等」とは広辞苑によると、「かたよりや差別がなく、すべてのものが一様で等しいこと」と記載されています。

様々な立場があると思いますが、少なくとも僕の立場では、極論を言うとそんなものありえないと考えます。

会社を例にしますと、入社した段階では横並びかもわかりません、いや、でも厳密にいえば給与面や待遇が異なることを考えるとスタートの時点でもう平等ではありませんね。

入社し、それが営業職であれ、事務職であれ仕事の成果は個人差がでます。

また、僕の重視する考え方にも個人差があります。

ここで、みんなを平等に扱う事自体がおかしいことだと認識しています。

やはり、結果をだしている者にはそれなりの待遇を、ついてきていないような者を同じように扱う事自体が不公平となってしまいます。

そして、そこに「気に入っている」という感情ですね、これは当然ありだと思います。断言します。

断言している僕ですが、若い頃はそれは全く理解できない考えの持ち主でした。

「人は必ず実力で判断される、それのみが美しいことだ」と考えていましたし、いわゆる「ひいき」ですね、これはありえませんでした。

しかし、年とともに世の中に多少なりとも揉まれ、それでは大成しないし、機械ではないし、そんな個人の力のみを信じるのは自身の過大評価だと考え直すようになりました。

自分よりも大きな力はこの世にはたくさんあるし、ながいものには…という考え方も絶対とは思っていませんが、自身の最も大切な考えをつらぬくためには、それ以前のものは捨てなければいけないことはたくさんあると感じています。

ゆえに、少し話はそれましたが、社内での出世も地位向上も全て平等にはおこなわれず、突き詰めていくと「平等」とは子どもの理想論ではないのかと思ってきます。

生まれや人種などの差別はいけないことだと思います。

もちろんそれはしませんが、人は「オギャー」と生まれた瞬間から皆同じではありません。

高級な産婦人科で生まれる子もいれば、生まれてすぐに施設に預けられてしまう子もいます。

親の愛情いっぱいに育つ子もいれば、親を知らない子もいます。

環境はみんな違います。

そう考えてみると、人間単体は不平等が正しい姿なのかもしれません。

それを社会や国が出来る限り平等となるように是正しているのかもしれません。

でも、そこで、例えば一生懸命働いて年収1億円の人からは約半分税金として徴収し、働けるのに働かず、生活保護を騙し得ている人に対しては全て免除、これも平等ではありません。

所得の平等を目指している姿がそれゆえに全くの不平等をも産んでいる現実もある。

死ぬときもそう、政治家やお金持ちは長生きしてますよね、あれは良い治療を受けられるからだと勝手に解釈しています。

きれいな老人ホームで余生をおくられる方もいれば、ボロボロの施設もある。また、家族と元気に同居もあるし、一人暮らしもある。


やっぱり、生まれて死ぬまでこの世は平等ではありません。

でも、権利はもっている。一部のどうしようもない事象を除き、ほとんどの人が広義の「頑張る」ことで権利を行使できる。

いや、完全ではないかもわかりませんが人は常にそうでありたいと願い、実践することが求められているのかなとも思います。


何かとりとめのない文章になりましたが、一つの質問から考えさせてもらうことができました。


posted by orangeknight at 21:25
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