社長の日記「つみかさね」

社長の日記「つみかさね」

2013年05月03日

憲法記念日って

今日は5月3日、憲法記念日です。

1947年5月3日に日本国憲法が施行されたのが起源ですよね。

いつも思っていますが、国民の祝日ってたくさんありますが、名称がつまらないと言いますか、何か戦後むりやりつけられた的な呼び名が多いです。


「憲法記念日」も日本にそぐうようにアメリカとの間で審議されたとはいえ、所詮はアメリカが作った魂のこもっていない憲法ができ、これで始めましょか〜というありがたくもない日であると僕は認識しています。

この憲法のおかげで現在のとりあえず戦争のない状態(これを平和と錯覚させられている)がもたらされたのかなと思いますが、何かいつまでたっても独立できていない気がします。

憲法とか、国っていうものは心のよりどころですから、そういったものが国民みんなに存在しているということが本当の幸せではないかと思うんです。

そういったものが軽視されたうえのとりあえずの平和なら、「とりあえず儲けるために働いている」という価値観と全く同じであり、とてもチープなものだと思います。

紛争が絶えないような危険な国で、国民みんなが自分たちの国の将来のことを真剣に考え、憂い、熱く語っている状態こそ幸せではないでしょうか。

国のことを考え、胸が熱くなれるって僕は幸せだと思いますし、極論ですが人は自分のためには死ねません、心のよりどころのためなら命も惜しくないとおもえるのだと思います。

戦前はそれが間違った方向へ、そちらに向かわせる原動力として利用されたのが誤りでありました。

しかし、そういった心の教育って学校ですべきです。諸外国ではあたりまえの宗教ですが、これが大切だと思います。

宗教といっても特定の〇〇教というわけではありません。

道徳です。宗教は心のよりどころであり、何が大切かと、何を重んじないといけないかとかいうことを教育しておれば、現在のようなとりあえず戦争がない状態こそが平和であるという国になっていなかったのではと思います。

一部の人々は憲法96条を変えられると9条も変えられ、そして戦争へ…と言われます。

戦争などしたくないに決まっているではありませんか。

ただ、自分の国のことは自国で決める。自国は自国で守るとか当たり前の幸せが欲しいだけですよね。

もちろんさまざまな権利が戦後我々には与えられました。

でも、全て権利は勝ち取るものであり与えられるものではないのでは?と考えます。

与えられて喜んでいるうちは主体ではないと考えます。

僕は高校のときから思っていますが憲法はぜひ改正してほしい、できれば1から作り直したらとまで思っています。


祝日の話を書こうとしたら熱くなり、憲法改正の話になってしまいました。

日本国憲法が公布された11月3日は日本国憲法が平和と文化に重きをおいているからと、意味のわからない理由から「文化の日」として昔から教えられてきましたが、文化の日も意味のわからない祝日です。アメリカの洗脳教育から脱却し、素直に「明治天皇の誕生日」で良いのでは思う僕はひねくれているのでしょうか?素直だと思っていますが(ニコッ笑)。
posted by orangeknight at 23:40
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