社長の日記「つみかさね」

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2013年02月02日

内規を見直ししています

現在、新しい「内規」を作っています。

社名変更を近くに控え、これを機に社内規定、給与規定、役職昇降格及び懲戒規定を見直しています。

なかった決まり事も今回新たに盛り込んだり、とにかく会社が円滑に運営され、決定に対し会社のみんなが出来る限り納得できるよう規則を明文化しています。

現在ある内規も「こまかく決められているんですね」と新人を採用した際にはけっこう驚かれます。

たしかに細かく記載していますし、今回尚一層細かくなってきていますが、いつも言いますが高みを目指していますので、それなりの事をしていかないと結果はでませんし、規則がないと必ずダラダラと人間楽な方に流れますし、自分勝手な解釈をするものです。そして、何よりあらゆるものを守らなければなりません。


とはいっても、この第一章社内規定にはじまる内規は創業時ありませんでした。

2年目にとても簡単なものが誕生し、それから徐々に改訂され分厚くなってきました。


はっきり言いまして、うちの内規は全て失敗から生まれています。


創業時はゼロからのスタートで試行錯誤でした。

ゼロなので失敗もありません、もちろん「この場合はどうしましょう?」という事が起こってきますが、全てその瞬間に僕が「そういう場合はこうしましょう」と判断していました。

基本的に迷いませんので、全て即決していますが、そこには紛れもなく「機嫌の良し悪し」が加味されます。

また、相手の尋ね方によっても変わります。人間ですから当たり前ですよね。

これでは大きな考え方はぶれませんが、細かい判断が徹底されません。

社員は迷います。今もあるでしょうが、「前はこうだったのに、今回は全然違うなぁ」ということが頻発しては組織は成り立ちません。


工事代金の回収もそうです。自分が一営業マンだったころから、ただの一度も工事代金の回収ができなかったことはありませんでした。集金時に値切られることさえもありませんでした。

僕の常識は、お客様は工事が終わったら「必ず」お金をお支払いくださる、というものでした。

なので、集金の規定も当初定めていませんでしたし、代金は極端な話「工事が終わってからいただく」というくらいの認識でした。

その自分の一営業マンの常識で会社を経営しだしたものですから、僕が悪い以外、誰が悪いとかは今は全くないですが数百万の不払いをくらいました。

愕然としましたし、こんなことあるのか!とショックを受けましたが、元をただせばある一定の金額を越える受注に対しては契約金や着工金をいただくという規則を作っていない自分が悪いですし、細かな規定がないので社員も迷うのは当たり前です。

高い授業料でしたが、神様の僕や会社への戒めだったと受け止めています。

そこから更に集金規定ができました。


社用車の規定は「事故」から生まれてきましたし、とにかく失敗と体験談から内規は生まれてきています。


僕の考えですが、人はどんどん改良され上級グレードにはなりません。

機械ではありませんので、成長という過程はありますし、学びはしますがいつになっても完全体にはなりません。

だから人類の歴史をみても戦争がくりかえされますし、同じ過ちをおかすと思うんです。

それがゆえに、そのやってしまうであろう失敗を抑止したり、最小限に抑える努力と仕組みが大切なのではと思います。

規則は縛るためのものではなく、守るためのもの、自由だけでは会社も社員も守れません。もちろんお客様にもご迷惑をおかけします。


なので新しい内規を作成中です。「規則を守るように」という人は「規則を守らない」また「軽視している」人を真の意味で守ってくれている人だとも考えます。

うちの会社にもそういう者は生まれてきましたが、感謝していますし、守ってもらっていると感謝すべき存在なんですよね。


とにかく規則というものは非常に大切な存在だと理解しています。




posted by orangeknight at 18:57

2013年02月01日

人を指導するって難しい

柔道の全日本女子の暴力やパワハラが大変な問題となっています。

当事者しかわからないことや事実がありますので、その内容はともかく、人を指導するって難しいものですね。

「あの人はいい人だ」「あの人はイマイチだ」これは誰もがうける他人からの評価。

有名になればなるほど、風評にかなり影響されるところがあるのは、有名税と解釈してもそれはそれで少しかわいそうなところもあります。

もちろん僕のことを良いように言ってくれる人もいれば、悪いように言う人もいる。

合う合わないもありますし、先入観もある。

同じことを言ってもパワハラととる人もいれば極端な話「ありがとう」と感じる人もいるだろうと思います。

会社の女子に「髪型変えたんやね」という言葉でさえ、人と言い方によってはセクハラにもなると彼女らは言います。

人を指導するって、まず認められないといけないんですよね。

それがないと伝わらない。良いことをしてもやっても伝わらない。

伝わらないとそれがジレンマになり「なんで俺の言っていることがわからんのや!」となります。

少なくとも僕はなります。

手は出しませんが、口調は激しくなっています。

本当にあきらめたら無関心になり、「どうでもいいよ、どうぞご勝手に」となると思います。

手をだす人にも2種類あり、心から伝えたい、「ほんまに、なんでわからんのやー!」とカーっとなり、つい手をだす人と、いわゆる完全なパワハラ、職権乱用みたいなタイプがあると思うんです。

熱血漢タイプには前者が多いので、行き過ぎた指導になってしまっているんでしょうが、手を出したらいけませんが、一つ理解できることがあります。

それは、あと僅か、ほんの皮一枚、ここを超えたら、もうほんの少し歯をくいしばったら「見えるのに」というライン。

ここまできた人には熱が入ると思います。

世の中至る所で教えるほうの側はそれをした人が多いから、それをしたら超えられるのが分かっているからそこに異常なまでに執着して指導する。

教えてもらう側はそれをわかっていないから、なぜそこにこだわりますか?なぜそれほどまでに?と感じてしまう。


やはり、そこには人間関係がまず必要ということなんでしょうね。


あえて全日本だから、そして手をだしてしまっているのでここまでとりあげられていますが、指導する側誰しもに当てはまる出来事だと思います。


人を指導するって難しいですね。なかなか独りよがりになりがちなものです。

伝え方、勉強していかないといけないと思いました。




posted by orangeknight at 10:22
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